生き物は二回死ぬそうですよ 息が止まった時と、他人に忘れられた時。 【行方不明な消息】 「ネコがいなくなっちゃったんだ、あんなに元気がなかったのに、 どこに行ったんだろ、ねぇ、天ちゃん捲兄ちゃん、見なかった?」 悟空が半泣きになりながら天蓬の執務室に駆け込んできたのは、今日の午前だった。 ネコというのは、1ヶ月半ほど前から、金蝉の部屋から天蓬の部屋に来るまでの通路(といっても俺が悟空に近道だと教えた細っい裏道)に住み着いた小さな野良猫で、悟空が見つけて拾ってきた。最初は金蝉のところに連れて行ったらしいが、「動物がこれ以上増えてたまるか!」と怒鳴られたらしく、そいつは仕方なく天蓬のところに連れてこられたようだ。 しかし、いくらこの執務室が本棚で埋まるような私物化扱いをされてても、ここは一応軍の施設で、堂々と猫を飼うわけにいかない。いや、それ以前に天蓬に生き物を預ける方が怖い。結局、俺が時々昼寝とかサボりに使ってた、取り壊しを今か今かと待ち望む西方軍の空き倉庫に連れてってやって、そこで悟空は餌をやったり遊んだりしていた。 「ねぇ、このねこに名前つけてあげなきゃ!」 悟空はそれまで生き物を飼ったり世話したことがなくて、俺たちが(というか主に俺が)あーだこーだと教えていると、悟空がひらめいたようにそう言った。名前がないのは寂しいと。名前で呼んでもらえないのは、寂しいはずだと。悟空は金蝉に会うまで名前がなかったから、名前を与えてもらった時の嬉しさをちゃんと覚えていて、この猫にもそれを与えてやろうと言い出した。 「何てつけたらいいだろう」 「お前の好きに呼んでやったらいいじゃねーか」 「んー、でも俺どーやってつけたらいいのかわかんない・・捲兄ちゃんつけてよー。」 俺は必死に悩む悟空が微笑ましくて思わず頭をなでてやったりして、その横で天蓬は「悟空はやさしいですねー」とか何とか言いながらいつもと同じようにへらへら笑ってた。 「天ちゃん、天ちゃんがつけてー。」 「えー僕がですか?そうですねー『ネコ』とか」 倉庫の床にしゃがんで、野良のわりに人懐こい猫のあごを指先でなでている天蓬は、相変わらず白衣を着たままなので実験動物と科学者に見えなくもなくて、俺はちょっと目をそらしたい気分になった。 「名前じゃねぇじゃん、それ」 「名前ですよ、漢字の『猫』でもひらがなの『ねこ』でも駄目なんです。カタカナで『ネコ』。」 「天ちゃんそれ違うの?」 何とも味気ない名前をコイツにつけられよーとしているのに気付いているのかいないのか、当の猫(天蓬曰く、ネコ)は気持ち良さそうにグルグルのどを鳴らしたりなんかしている。 「違いますよー、名前は1つだけですから。1個しかなくてそれだけがその人を指すんです。」 「呼んだら他のと区別つかねーじゃん」 俺もなでてみようかと手を伸ばしたら、その『ネコ』はするりと身をかわしてしゃがむ天蓬のひざに擦り寄った。 あ、この野郎。俺よりそんなマッドサイエンティストもどきに懐きやがって。 「呼んでる僕らが意味を知ってればいいんですよ。そもそも猫という名前だって人間が勝手に呼んでいるだけで、猫達にとっては名前でもなんでもないんですから。」 「んー・・?」 「おー悟空にはちょっとわかんなかったか?」 「何となくはわかった!気がする!じゃ、こいつは『ネコ』だね!」 名前をつけて、一通り生き物の世話(つっても猫だから餌やったりたまに洗ってやったりするだけだけど)の仕方を教えてやって、夕方悟空がネコに「また明日くるからな」と言って、「天ちゃん捲兄ちゃんまたねー」と手を降って帰った後に俺は天蓬に向き直った。 「後どれくらいだ?」 「僕の見立てでは1ヶ月半。」 「・・・・早いな。」 それから、俺も時間を見ては倉庫に通い、何だかんだとネコの面倒を見に行った。悟空とネコがじゃれてるのはどうにも心の和む様な光景で、金蝉ですらたまに足を運んでは目を細めてそれを見てた。 ネコは、相変わらず何故か俺にはなつかず、天蓬の足元にばかり擦り寄った。 「同属愛か?」 「は?」 「お前、猫科っぽいし。」 天蓬はしゃがんでネコを抱き上げた。 「まさか。猫は群れませんよ。コレは同属愛じゃなくて同属嫌悪です。」 ネコは居心地良さそうに天蓬の腕の中に納まってる。 「じゃ、なんでお前になつくんだよ。」 「僕が猫科じゃなくて、貴方が猫科だからですよ。」 「俺のどこが、」 「誰にもなつかないくせに。」 ネコに構っている天蓬はうつむいていて、表情は髪で見えなかった。 「あのね、最近、ネコの元気がないんだ。」 1週間以上前から、会うたびに悟空が心配そうにそう言うのを、俺たちは「どうしたんだろうなー、早く元気になるといいなー」と返しながら、やるせない気持ちを奥歯でかみ殺してた。様子を見に行けば、ネコはタオルをしいたダンボールの中で丸まっていて、小さな毛の塊が震えていた。俺が手を伸ばしてなでても、もう逃げなかったが、天蓬が振れると小さく「ナァ」と鳴いて気持ち良さそうに目を細めた。 ホントは最初からわかってた。 「悟空のためか?」 「何がですー?」 ネコに名前を与えた日、天蓬は自室の本棚から中世妖怪大百科とか訳のわからんものを抜き出しながらとぼけた声を返した。 「あの下界から誰かが持ち込んだんだか迷いこんだかした、病気でしかも末期で1ヶ月半しか生きられねー猫に、わざわざ『ネコ』とかゆーひっじょーに愛着のつきにくい名前を、屁理屈こねてまでわざわざつけてやったのは、一ヶ月半後にできるだけ悟空が悲しまないよーにしてやるためですか、御優しい元帥サマ?って聞いてんの。」 一気に嫌味をこめて言ってやったが、残念ながら天蓬は挑発に乗ってくれず 「僕はただ、ネコに協力してやっただけですよ」 と、よく分からないことを言い残したまま、活字世界に行ってしまった。 しょうがないので、俺はぼーっと、窓のむこうの空を眺めていた。 一目見たときからわかっていた、あのネコが死の気配をもっていることに。 下界の生き物特有の空気と気配、死にむかって生きているあの匂い。 俺にまともな医療知識は無いので、天蓬が何を根拠に余命一ヵ月半と読んだかは知らないが、この部屋にとどまらない気の遠くなるような活字情報を元に下された判断だとしたら、そう間違ってもいないのだろう。 だからこうなることは1ヶ月半前のあのときから、わかっていたのだ。 「手分けして探すぞ」と悟空に言って外に出たはいいが、俺と天蓬にネコを探す気はなかった。 猫は死に際を人に見せないという。 見つけたところで、冷たく硬くなっているであろうそいつを、これが死というものだと悟空の前に突きつけるのは、俺にも天蓬にもできそうもなかった。 「優しいですねぇ、ネコは。」 風に好き勝手髪をなぶらせながら、天蓬がぽつりとそう言った。 「死」というものは、少なくとも人にとっては「特別なこと」で、「死に際」を見たら、きっと一生そのことを忘れられない。 行方不明になれば、まだどこかで生きてるかもしれないと、甘く淡い希望を持っていられる。たとえずっと後になって、死んだと誰かから伝え聞いても、やっぱりそうだったのかで終わらせることができる。 親しくしてくれた人たちが悲しむなら、まだ生きなきゃならない人たちが引き摺るなら、覚えていてくれなくて良い、忘れてもいい。 そう言われているような気がする。 ・・・あぁ、だからこいつは、あの猫に、ネコなんて名前を。 ぼんやりと、どこかにネコの死体を隠して降り積もる桜吹雪を見てると、不意に天蓬の声に刺された。 「貴方も行方をくらましますね。」 天蓬が俺を睨んでいたのは気付いたが、俺は振り返らなかった。 「致命傷負っても、やせ我慢してへらへら笑って、目を放した隙に足跡も跡形も残さず綺麗に消えるでしょ」 「お前こそどうなのよ」 「僕はあいにく、ネコや貴方みたいに優しくありません。 貴方の目の前で、記憶喪失になっても忘れられないような大往生してやりますよ。」 立ち止まった天蓬を置いて歩きながら、たとえ俺が消えたとしても、こいつは何処からともなくやってきて、俺が死ぬのをじっと見つめてるんだろうと思って、俺は笑った。

―――Fin― 動物に動物名の名前をつけると あれは人間がつけたただの記号に過ぎないことを実感する。