「大将?捲簾大将―!」 部下が捲簾を探して走り回っている。 くだらない世辞と社交辞令にまみれた定例会合15分前。確か今回は天帝が参加するとか言っていたはずだ。行きたくない気分はよく分かるが、行かなかったら印象が悪くなるのは捲簾のみではなく西方軍全体であり、それは非常によろしくない。しかしそれがわからないほどあの男も馬鹿じゃない。 僕は吹き込んでくる桜の花びらを遮るために窓を閉めた。 15分もあれば、見つかって引きずり出されてなお、御茶の一杯くらい飲む時間があるだろう。 捲簾を見つけるのは簡単だ。捲簾が本気で隠れていないなら。 【花隠しの恋】 「あれ?悟空は遊びにでも行ってるんですか?」 「ああ、お前か。悟空はここにいねぇ、だからお前もとっとと帰れ。」 「つれないですねー、金蝉。」 顔をあげて僕と確認するなり、金蝉はまた書類に向き直った。 口は悪いし面倒臭がりのくせに、何だかんだいって真面目だな。 僕は投げられた言葉に無視を決め込み、金蝉の机に近づいて書類を覗き込んだ。 「『中央宮西南庭園の増設計画草案その3』。うーわー、本当にどーでもいー書類ですね、貴方こんなの真面目に読んでるんですか、よく読めますね目の毒ですよ毒。脳にも精神衛生にも悪影響しか及ぼしませんよ。」 金蝉はただでさえ癖になってる眉間のしわを一層深めた。 「そういうお前ははこんなところで油売ってていいのか。お前こそ読むべき書類が山とあるんじゃないのか?」 「読むべきものは読んでますよ、『創世記原始植物観察禄』とかね。これでも読むものは選んでるんです。」 「お前に聞いた俺が馬鹿だった。ついでにお前の蔵書はどう考えても無節操だ。」 「あ、失礼な。折角貸そうと持ってきたのに。」 僕が手に持っていたものに目を落とした。 「・・・・その本は何だ。」 「悟空に前に貸した絵本の続きがこの間掃除してもらったら出てきたんですよ。それと、貴方が読んでも面白いかと思ったので、短編集。少なくともその書類よりは楽しめると思いますよ。」 「そこに置いてけ。」 金蝉が指したサイドテーブルには、水の入ったコップにさした、15cmほどの桜の枝が飾ってあった。 「・・・これ、悟空が?」 「あ?ああ。・・・綺麗だろ?」 金蝉は花を見やって少し目を細めて見せた。 「・・・・・・・・・ええ、本当に。」 僕は桜の置いてある場所から一番離れた端に本を置いた。 すごいな、悟空は。 興味がない、関心もない、それに対する危機感もなければ向上心もない。ただ、退屈のみを知っていただけの金蝉に、こんな表情をさせるとは。金蝉の分まで喜怒哀楽を凝縮したようなあの小さな台風を思って、ふと僕の気持ちまで和んだ。 金蝉の視線が、窓の外にそれるまでは。 「おい、あそこ歩いてるの、お前のとこの大将じゃないか?」 桜の枝が濃く薫った。 ガシャン! 金蝉の視線が戻ってきた。 「・・・あー、すいません。ぼーっとしてたみたいで。悟空にも謝っといてくださいね。」 床に散った、桜と水とガラスの破片。 僕は目が悪い。 眼鏡を外したら一歩先も見えないし、眼鏡をしてても視野は狭い。遠くのものはぼやけているし、細かいものも見えづらい。5m離れたら、人の顔の造作もあまりわからない。 だから。 「・・・・天蓬元帥、眼鏡の度があっていないんじゃないか?」 受け取った書類を眼前5cmくらいにかざして読む僕に、赤眼の上司はそういった。 「あー、そろそろ変え時かとは思うんですが、眼科へ処方箋を貰いに行くのが面倒でして・・」 こらえ切れなかったのか、ため息を一つ聞こえた。 「しかし、それでは業務に差支えが出るだろう」 「本が読めなくなったら考慮しますよ。 では、この書類は三日以内に部下に届けさせますので。失礼します。」 扉を閉める寸前に見た竜王は、額を押さえているようだった。 部屋に戻る途中の、庭園に面した暖かい日差しの入る通路。読みかけの本の続きが気になっていた僕は、気持ちよさげな梢にも木漏れ日に目をむけず、真っ直ぐその通路を通り抜けた。・・通り抜ける、つもりだったのに。 ふと、本当に、何の理由もなく、ただ何となく引き寄せられるように視線が庭園に向いた。 ここに桜の木はないはずなのに、どこから入ったのか、視界の隅をあの薄紅色がよぎった。 足が、止まった。 ああ。どうして。 日差しをさえぎる木立の中、小さく、そこに、漆黒。 日向と日陰のコントラストが眩しくて、遠く離れたあの男のまとう黒なんて、どう考えても目立つはずないのに。 目がいってしまう、どこにいても見つけてしまう。ありとあらゆるものの視線を、あの男は奪ってしまう。別に何をしているわけでもない、ただ、いつものように、酒瓶を片手にふらふら歩いてるだけなのに。 絶対的な引力でもあるんじゃなかろうか。あんなに遠くから、ろくに見えていない僕の目を、窓の向こうから恐ろしく鈍感な金蝉の視線を、探しに来た部下の視線を、すれ違った女官の視線を、余すところなく引っ張っていく。何をしているわけでものに。ただ、そこにいるだけ、そこに存在して呼吸をするだけで、あの男はどうしようもなく目立つんだ。 「天蓬元帥!捲簾大将がどちらにいらっしゃるかご存知ですか!」 僕の執務室に入ってくるなり、捲簾の側近はそう言った。 「・・・・また何かやらかしたんですか?」 思わず不機嫌を隠さずにそう言うと、部下は少し困ったように答えた。 「いえ、大将にお会いしたいという方がいらっしゃっているのですが、さっきから探しても見つからないんです。」 「・・・客というのは?」 「ええと、その・・・上級神のご息女でして・・・・」 いつもなら「知らない」と答えて放って置いた。 でも、アレにくれてやるよりは、どこだかの小娘を相手にしてくれていた方が断然いい。 「探しても見つからない、といいましたね?いつから?」 「探し始めたのは30分ほど前からですが、最後に大将をお見かけしたのは5時間以上前です。」 僕はため息をついて読みかけの本を閉じた。 「・・心当たりがあります。貴方はその客に、もうじき行くと伝えなさい。」 「元帥のお手を煩わせるわけには!」 「いえ、僕が行きます。説明しづらい場所なんですよ、僕が行った方がはやい。」 「・・分かりました。ありがとう御座います。」 霧・霞・雲・雪、なんにでも見える一面の花吹雪。 西方軍の軍施設が立ち並ぶ敷地の東、気の遠くなるほどの桜林。 淡い紅の花弁は優しいようで、それ以外の色を拒絶し、許さない。 全て埋め尽くし、全て隠す。 あの男の、気配さえも。 僕がそこに足を踏み入れると、とたんに桜吹雪に襲われた。 視界に入る白い花弁が多すぎて、前が霞んで、見えない。 忌々しいくらいに目立つ、捲簾の黒さえ、何処にも見当たらない。 僕は眼鏡を外して白衣のポケットに突っ込んだ。 どうせ見えないなら意味がない。 真正面から吹き付けてくる桜を押し返して、僕は木々の間に踏み込んだ。 白・白・白。 薄紅色の花びらは、あまりに多く淡すぎて、まるで白い布で目隠しされているような気がする。 そして実際、隠しているのだ。 あの男を。 「捲簾・・・・!」 腹から声を出して呼んでみる。 桜の舞い散る音は柔らかすぎて耳に聞こえず、他に音らしいものもないここは確かに静かなのに、僕の声は響かなかった。 視界も利かず、声も利かない。 思わず舌打ちする。 見つからないなら、案内してもらうまでだ。 深く息を吸い込むと、桜の香の濃くなる方へ足を進めた。  一歩踏み出すごとに強くなる香と、正面から僕を押し返してくる桜の花弁。 それは意志を持って僕に叩きつけられ、敵意を表し、僕をここから追い出そうとする。 近寄るな、と。 降り積もり、行く手を阻む柔らかく湿った絨毯を踏みつけて、僕はかまわず歩いていく。 「・・・あげませんよ。」 思わずそう呟くと、怒りを煽られたかのように桜吹雪の抵抗が増した。 桜の香はすでに鼻が麻痺しそうなくらいに濃くなっていて、僕は目の前にそびえ立つ一際太い桜の樹を睨みあげた。 天界の桜は年中無休で満開だが、この桜の樹の花の数といったら、尋常じゃなかった。 枝という枝を覆いつくし、頭上一面を白く染め上げる。空の色さえ見えなくて、桜が空に立ちこめた雲のようにも見える。相変わらず吹き付けられる花弁はもはや土砂降りの雨の様相で、髪も白衣も薄紅色だ。 この中に、あの黒なんて見えない。 でも、確かにこの白の中にいる。 「返してもらいますよ。」 僕は力の限り桜の樹を蹴りつけた。 「出てきなさい!捲簾!いるんでしょう!?」 舞い散り舞い上がる花びらが、足元から渦を巻いて立ち昇る。バタバタとはためく白衣のすそが煩い。 私のものだ、 返さない、 近寄るな、 出て行け、出て行け! 声にならない声が、頭に響いて頭痛がする。 ああもう、何で僕があの男のせいでこんな目に。 「捲簾!」 「・・・・・ああ、お前か。」 しばらくして頭上から降ってきた声は、まだ眠気を残していて、僕は安堵と同時に胃の底から這い上がる怒りを覚えた。 未だ姿は見えないが、声のしたほうに向かって文句の3つ4つまくし立ててやろうと口を開いた瞬間、 上からおびただしい数の花の塊が目の前に落ちてきた。 耳の奥で、悲痛な叫びを上げて泣く声が聞こえた。 着地してまとわりつく花唇を叩き落としたながら立ち上がった捲簾は、なんでもないような顔をして言い放った。 「何か用?」 腹が立ちすぎて罵声も出ない。 「・・・・ずいぶんと熟睡なさってたようで。」 「あー、うん、すげー寝た。お前こなかったら、あと百年くらい寝れたかも。」 「それは申し訳ありませんでしたね。」 そうしたら、寝たまま朽ちて、土に返り、やがて桜の一部と成り果てたんだろう。 この桜が望むままに。 ・・・・・・喰われてしまえ。 「・・・次からは起こしにきません」 「はは、じゃー次から良く寝れるな」 この場所はお前以外には見つかんねーから。どこか楽しそうに捲簾はうそぶいた。 桜に背を向け、部屋に戻る道を歩き始めながら、捲簾は僕を見て目を細めて笑った。 「お前、花まみれじゃねーか、天蓬」 僕の名前を捲簾が呼んだとたん、泣いていたあの声が断末魔のように高くなり、尾を引いて消えた。 桜吹雪はいつの間か、よく見かける風流漂う状態に戻り、 桜の破片を取ろうとする捲簾の指が、僕の髪に、触れた。

―――Fin― 桜に惚れられる捲簾。 捲簾は全部わかってて、わざと桜に隠れたらいい。 そして元帥が探しに来るのを待ってたらいい。 天蓬がこなかったら桜に喰われてやる気なのに、くると高慢なまでに信じてたらいい。 この話の一番の被害者は桜です。