天蓬が意外に不器用なやつだと気付いたのは、実はわりと最近だったりする。 実力一つで出世し、本の巣窟で生き延び、部下も上官も笑顔一つであしらう我らが元帥は、偏屈ではあるが偏屈なりにやっていくだけの能力も器用さも持ち合わせていた。 それは事実なんだが、厄介な事にその器用さは不器用な側面を綺麗に覆い隠すほどに完璧だった。 【忘却贖罪】 「元帥が何処にいるかご存知ですか?」 「それ何の書類?・・・・ああ、それならこっちで処理するからいいよ、元帥のトコまで持っていかなくても。」 天蓬の部屋に続く回廊で交わされていた部下と永繕の会話が、何となく耳に入った。 そういえばここ一週間ほど、天蓬の顔を見ていない。 また篭ってるのか。 「大将!元帥のとこいくんですか?」 こっちに気付いた永繕が俺を振り返った。 「あー、部屋のドア開けんの嫌だから、どーしよーかと思ってんだけど」 「はは、確かに怖いっスねー。でも今日は部屋に居ないと思いますよ、朝方出かけたの見かけたんで」 「今度は書庫か?」 「さー、元帥の行動パターンは測り知れませんからねー」 永繕は天蓬の奇行を思い浮かべたのか、ちょっと眉を寄せて笑った。 それは非常に自然な仕草と会話に見えるんだが。 「俺としては、お前の行動のほうを測りかねてるんだけど? さっきから天蓬探してるやつシャットダウンしてどーすんの?」 「元帥を独り占めしてみたり?」 なんてこと考えてませんけどねー、といって今度はにっこりと永繕は笑った。 ・・・・・・長年あんな上司についてるから、似てきたんじゃねーか? 「・・・・・。」 天蓬の部屋を開けてみたら、本は崩れてこなかったが、今にも崩れそうなギリギリのバランスを保って入り口で固まっていた。 何をどうしたらこんなことになるんだ。 ある意味、前衛芸術に見えなくもない・・・・無理があるな。 廊下側にくずれると面倒なので、部屋の内側にむかって蹴り倒してみたが、文句をいう部屋の主はやはり不在だった。 別にあいつに会わなきゃならない用事があるわけじゃないが、あの永繕の行動。別に珍しい事じゃないのに1週間あってないことが妙に気にかかる。 書庫を見に行こうかと少し考えてやめた。 何だか知らないが、こっちを避けてるならそうそう簡単に見つかるところにいるはずがない。 俺はそのへんに散乱した本を適当に拾って本棚に詰めた。 午前三時。 夕方から振り出した雨は止むどころか土砂降りになって、今もまだ窓ガラスを叩いている。 夜勤の兵も時刻と湿気にだるさを増幅させられてうんざりしているだろう。 電気をつけてない薄暗い部屋は、窓の外の湿気が漏れ込んでいて湿っている。 ガタン、と破るようにドアを開けて、水気を含んだ塊が帰ってきた。 全身雨にまみれた天蓬はふらふらとした足取りで、床に水がボタボタとしみを作る。顔はうつむいていて、顔の横に降りた髪で表情は見えない。 壁の本棚によりかかった俺に気付いているのかいないのか、反応一つくれないまま、バタン、とソファーに倒れこんだまま動かなくなった。 ソファーからはみでた腕や白衣の裾から水が滴り、水溜りを広げていく。 うつ伏せになった顔は相変わらず知れないが、白衣やシャツの張り付いた薄い背中は規則正しく上下していた。 夜中の雨が残した反動で、雲ひとつない空は蒼く、上昇した気温は勢い余って少し高めだ。 日陰に残った水溜りも、もう少しすれば消えるだろう。 俺は西方軍館内を一周したところで、聞こえた声に足を止められた。 「元帥が何処にいらっしゃるかご存知ですか?」 俺は昨日も同じセリフを聞いた気がする。 「さー、昨日から見当たらないんだよねー。またフラフラどこかに出かけてらっしゃるんじゃないか? 一週間後の会議までには戻っていらっしゃると思うけど。」 そしてまたコイツか。 振り返った光景に既知感を覚える。 しれりと部下をあしらって追い返した天蓬の腹心は、昨日を再生するかのようにこっちを振り向いた。 瞬間、隣の空気が少し揺れた。 「あ、大将、」 「元帥のトコには行きませんよー」 先手を打ってやったら、永繕は苦笑いをみせた。 「いえ、この書類をお渡ししたかっただけです」 受け取った書類の、元帥の署名記入欄の日付は今日だった。 「てめ、何が昨日から見当たらないだよ」 「いえ、お会いしてないですよ。朝元帥の執務室に行ったら、机の上に置いてあったんです」 昨日天蓬の部屋を片付けたときには、確かに未処理の書類しかなかった。 ・・・・・あの後、やったのか。 仕事は全て片付けたから、探しに来るなと言いたいのか。あの馬鹿。 「・・・・永繕、最近CMでやってる新型の風邪薬、効くって噂だぜ?」 今朝元帥の執務室に行ったなら、床の水溜りと湿ったソファー、そして多分開かずの扉と化しているだろう寝室のドアを見ただろう。 素晴らしく察しの良い部下は目を細めて笑った。 「次に買う時は参考にさせていただきますよ」 昨日、人目を避けるように深夜に帰ってきた天蓬も、流石に細かいところまで頭が回っていなかったんだろうと思う。 全身から撒き散らす雨のにおいの中に、かすかに混じった土のにおいと、便所下駄に跳ね返った泥は、天蓬がそれまで舗装されていない場所にいたことを如実に表していた。 暗闇の中、ぽたぽたと回廊に落ちた水滴を辿り、このあたりでは数少ない土のみえる場所へ向かう。 まだ地面を打つ雨の勢いは止まないが、暗く霧にかすむ視界の中、その新しい便所下駄の足跡はひどくくっきりと残っていた。 よほど長時間、ピクリとも動かずにここに立っていたであろうことは容易に知れた。 少し前までここにいた、闇と雨音と沈黙、それと天蓬。 何を考えていたんだか。 あいつの考えている事なんて、知りたいし知りたくないが、どっちにしろ俺に理解できる事じゃない。でも今だけは想像がつく。 俺のほかに、供えられた菊の花を見つめながら、そこに座り込む男が一人。 俺と、俺の軍服の階級章を見て、静かに頭を下げた。 そこは、軍人墓地だった。 ガタン、 立て付けの悪い窓を、元帥室のすぐ外にある樹の上からこじ開けて、俺は部屋の中に飛び込んだ。 あきれたような声が後ろからしたが、俺は構わず足を進め、部屋の中を見てまわった。 あの雨の夜からもう3日経つ。 その間天蓬はこの執務室から出た様子はなく、相変わらず永繕はどこからともなく現れては、来訪者を妨害し、元帥の引き篭もりを増長させてる。 部屋には、新たにちらかった本がちらほらあり、机の上には新しく処理されたらしい書類が載っていた。 寝室からは出てきてるのか。 手近な所に放置されていた本を拾い上げたら、その陰に隠れていたごみがかさりと動いた。 それは例の風邪薬の空き箱だった。 天蓬の寝室の前に、病人食と風邪薬をこっそり置いてみる永繕の姿と、それを見つけてちょっと悩んだ挙句、結局呑む事にした天蓬の姿が簡単に想像できる。 ・・・・・・やっぱり永繕に任せて正解だった、と思う。仮に、俺がドアの隙間からコレを投げ込んでみた所で、天蓬は呑まなかっただろう。 ただ、何となくおもしろくない。 ふ、と小さく空気が動く音がして、俺の後について窓から入ってきた男は隣に並んだ。 目を細めて見る先にはやっぱりその風邪薬の箱があって、そいつは泣き笑いのような複雑な表情に顔をゆがめた。 土砂降りの中、菊の花の傍らに座り込んでいた男は、墓標に刻まれた名と同じ名を名乗った。 ああ、いつだかあいつが言ってた。死なせてしまった部下がいると。 雨粒はその身体を素通りし、半分背景が透けて見えるその存在は、濡れる事のない軍服の裾をさばいて立ち上がった。 布のすれる耳に聞こえない音が、頭に響く。 『・・・・貴方は、西方軍・・大将?』 「ああ。そのつもりだったんけど。おっかしーな、俺、霊媒師に転職したのかも」 そいつはちょっと笑ったが、含んだ影は拭いきれなかった。 『はは、俺は霊じゃありませんよ』 「あんたの後ろの墓標、透けて読めんのに?」 『・・・・・霊だったら、とっくに成仏してますよ』 ・・・・・とっととそうしてくれ。 「じゃー何でここにいんだよ・・・」 『これです』 そいつは腕を上げて見せた。 ジャラリ この世の物じゃない、半透明な鎖。金属がこすれる重い音が頭に響いた。 「何、それ」 腕に絡みついた鎖は、墓の前に残った天蓬の足跡から延びていた。 『・・・天蓬中将・・・あ、いまは元帥でしたか。元帥の、念、です』 毎年、俺の命日になると、こうして花を持ってきてくれるんです。 ・・・それだけならいい、ただ優しいだけならいい。 あの人は優しすぎる。 俺が死んだのは元帥のせいじゃない、どうしようもなかったことで、偶然それが俺だっただけで、死んで未練が全くないと言ったらそれは嘘になるけど、俺だって軍人の端くれで、死に直面する覚悟はあった。元帥をうらんだことなんか一度も無い。 それでも、元帥は俺を忘れない。 軍人として上司として、責任を感じてくださるのはいいんです。戒めとしてくださるなら、俺だって死んだ意味もあったかもしれない。 でも、元帥はずっと後悔してる。軍人じゃなくて人として、俺の命を奪ったと思って自分を責めてる。 今もまだ、こうして涙も声も漏らさずに泣くから。その思いが俺を形成して、ここに縛り付けてるんです。 ・・・・こんな形で、覚えて欲しかったんじゃない・・・・・・ ぽつりとこぼされた低い声は、やりきれなさにあふれていた。 「行くぞ」 『・・・はい?』 「天蓬をどーにかしなきゃ、お前だってどうにもなんねーんだろ?だったらあいつを、どーにかしに行くぞ。」 そう言って墓地からつれて来たはいいものの、おそらく風邪を引いた上にそれを周りに悟られたくない、何ともアホで意地っ張りな天蓬の引き篭もりと永繕の妨害により、無駄にこいつと共に過ごす事3日。痺れを切らして天蓬の部屋に忍び込んではみたが、どうしたものか。 とりあえずその辺に散らばってる本を棚に収めることにした。・・・どうも、この作業が習慣になってきた気がする。 そいつは部屋の中を見回して、相変わらず本の虫なんですね、と呟いて、山積みにされた本に手を伸ばしたが、その手はするりと本に透けてからぶった。 『・・・届かないんです』 行くぞ、といった俺に、そいつは唇をかんでうつむいて答えた。 『俺がどれだけ慰めても、目の前で死んだ事謝っても、元帥に俺の声は聞こえない、俺は元帥に見えてない。 あんなに、今にも崩れそうでたおれそうになってるのに、支える事も出来ないし、雨からかばう事も出来ない。 俺は、届かないんです』 「でも俺には見える。」 半透明に透ける顔が上がった。 ああ、視線だけはちゃんと半透明じゃないのか。意思も力も、そこに存在してるのか。 そらさず、真っ直ぐ目を見返した。 「俺には見える。俺には聞こえる。天蓬にはわからなくても俺は分かる」 そいつは口を開いたが、何も言わずにまた口を閉じた。 「天蓬がお前をここにお前を縛り付けてるなら、あいつ、会いたいんだろ?お前に。 何か消化できないから、いつまでもこーしてたんだろ? ・・・・手伝ってやるから。」 だから、もう、あいつを放してくれないか。 お前を縛ってるのはあいつだけど、あいつも同時に縛られてる。 過去は風化するものなのに、あいつは時間を止めたままだ。 動かせないなら、動かしてやるから。 天蓬、もう返らないものから目を離せ。 現実を見ろ。今お前の目の前にあるものを。 こっちを。 『・・・・お願いします』 そいつは足を踏み出した。 カタ、 天蓬の部屋の床がある程度綺麗になるまで片付いたころ、寝室のドアの向こうから物音がした。 とっさに振り返ったそいつは、少し緊張したような面持ちでドアを見つめている。 ガタガタと少し物音が続いて、そのあと、扉が開いた。 『・・・元帥・・・』 天蓬は俺が部屋の中に入るのを認めると、ガシガシと頭をかいた。 熱は引いたのか、寝起きのツラだが、それほど調子は悪くないように見える。 「・・・・居たんですか」 「おまえが、」 目が合った 「おまえがいつまでも泣き止まねェから、置いてくこともできない。」 「・・・・何・・・」 「いつまでも引きずるからこっちまで引きずられるし、 お前が動かないから進むこともできない。」 『・・・大将。』 「お前が放してくんねぇから、心配で逝くこともできねえって」 『大将!!』 悲鳴混じりの叫び声に、天蓬が反応した。 俺とからんでいた視線がはずれ、つ、と横に滑る。 そして、静かに見開かれた。 ざ、と俺が入ってきた窓から、風と桜の花びらが舞い込む 机の上に開いてあった読みかけの本の、ページがバラバラとめくれた 普段と変わりない部屋に、沈黙。 破ったのは天蓬だった。 「・・・どうして・・・・」 ぴくり、と動いたそいつの腕で、ジャラリと鎖が鳴った 延びることはあっても切れない半透明な鎖は、窓からずっと繋がって、あの墓地の天蓬の足跡まで続いてる 「僕のせいで、」 『元帥。』 そいつは笑った 『俺を忘れてください』 天蓬は瞬きもせずにそいつを見ている 『今も、元帥の部下だったこと、誇りに思ってます。 死んだ時だって、あの隊にいたこと、後悔なんかしませんでした。 貴方に憧れて、近づきたくて、覚えていただきたくて、必死に結果を出そうとしてきましたけど、こんな形で覚えていただきたかったんじゃないんです。』 窓から差し込む光はいつもと同じものなのに、そいつに半分だけ透けて、何だか異様に綺麗に見えた。 『俺がこんなこと言ったって、元帥自身が自分のことを許せなかったの、知ってます。 俺の墓の前で、ずっと自分を責めてたこと、知ってます。 だから、もういいから、許さなくていいから。なかったことにしてください。 もう、忘れてください。』 貴方にここまで思っていただいて、俺は幸せな軍人でした。 それでも、一軍の元帥にある人を、いつまでも縛って苦しめるわけにいかないから。いままで、ありがとう御座いました。 そういって、そいつは最敬礼して見せた。 天蓬は静かに口を引き結んでゆっくり最敬礼を返すと、ゆるりと目を閉じた。 「・・・すいませんでした。・・ありがとう。」 一滴だけ、その白い頬を涙が伝って、次に天蓬が目を開けたときには、そいつは跡形もなくなっていた。 天蓬は、助けて欲しかったんだと思う。 自分で収拾のつかなくなった後悔に、動かすことのできなくなった時間に、色褪せてくれない思いに、捕らわれて助けを求めていたんだと思う。 それでも、それを口に出せるほど、器用な男じゃないから。 天蓬によって引き止められていた、天蓬に見えない存在。俺にだけ見えたのは、天蓬が、そういう形でしかSOSを示せなかったからだ。 不器用な奴。 天蓬は黙ったまま窓の外を見ていた。 軍人墓地のある方角。 その目は穏やかな色をみせていて、やっと過去を過去にできたといっていた。 今名前を呼んだら、天蓬は俺を見るだろう。 現実に、目の前にいる俺を見るだろう。 ただ、もうすこし待ってやる。 『俺を忘れてください』と言ったあいつに、もう少しだけ、天蓬が名残を惜しむ時間をやろう 動き出した時間のなかで、もう天蓬がお前を思い出す隙なんか作ってやらないから。 こんな形で、覚えていて欲しかったんじゃないと、泣きそうな顔をしてつぶやいたあいつを思い出して、俺は笑った 俺はきっと笑うだろう。 天蓬が俺を忘れられなくなったなら、それがどんな残酷な形であれ、俺はきっと笑うだろう。

―――Fin― えー・・と、わけ分からん話ですいません。 回想をはさむせいで時間軸が怪しいですね。私の文章力の至らなさが浮き彫りです。 いつまでも死んだ部下を忘れられない元帥と、それが気に食わない大将。 お盆に墓参りに行って思いついた話。 単に、軍人墓地で雨に打たれる元帥を書いてみたかっただけです・・・・ そしてうちの大将は優しいのか黒いのか、紙一重な感じです。