「西方軍軍大将の失踪に関する釈明と謝罪文」 そう印刷された書類の表紙に溜め息を吐いた。 反省文と謹慎、懲罰房までは覚悟していたが、これまでは予想していなかった。 とんだ見込み違いだ。 窓からの風に書類がはためく。 「西方軍軍大将の失踪に関する… 失踪したのは俺じゃない。 天蓬だ。 【単独失踪 -k】 ・・・しくじった。 砂煙の向こうから、ひとり、全身を紅に染めて歩いてくる天蓬に、思わず胸中でつぶやいた。 「元帥!」「ご無事ですか元帥!」 部下が慌てて走り寄る。 「全部返り血ですよ、それより帰還準備を。日が落ちるまでには事後処理班を残して戻ります。」 「っ、御意!」 ちらりともこちらを見ない“西方軍元帥”の姿に、俺は再び言葉を飲み込んだ。 「大将ー。」 永善の物言いたげな視線が痛い。 煙草が普段より不味い気がして、思いっきり煙を吹き上げた。このぶんじゃ酒も不味いだろう。 ため息をかみ殺して、まだ残っている煙草を灰皿に押し付けた。潰される火がくすぶり、悪あがきの煙を上げる。 天蓬の部屋の灰皿は、今頃どんなことになっているのか。しばらく顔を合わせていないあのカエルを思い出して、少し心配になった。 天蓬の部屋には、あれ以来鍵がかかっている。 そして天蓬は一切姿を見せなくなり、“西方軍元帥”ばかりが目につくようになった。 ・・どちらも、天蓬元帥という男にかわりはない。 ただ、"天蓬"という一人の人としての素の部分を、全く見せなくなった。 へらへら笑ってても、どこか一歩距離を置いてる。仕事だとノックすれば、いつもの小汚い白衣でドアを開けるが、用が済めばすぐに扉を閉ざす。任務もほとんどを一人で片付け、部下に手を出す隙すら与えない。 非常に、模範的な元帥像だ。 軍師ならば常に本心は隠すべきだし、機密事項を扱う執務室は鍵が開いてるほうがおかしい。任務は最小限の浪費と損害で、確実に片付けてる。 文句のつけようがねぇ。が。 この一個人としての付き合いづらさは。 はじめは俺が勝手に単独行動をとったことに対する一時的なあてつけかと思ったが、永繕たち部下は口を揃えた。 「大将が来る前の元帥に戻った」、と。 「大将がいらっしゃってから、元帥は変わりましたよ」 俺が淹れてやった珈琲をすすりながら、永繕は言った。 「戦闘んときも、もっと参加させてくれるっつーか、責任預けてくれるようになったし、雰囲気も何となく、とっつきやすくなって・・こう、ちゃんと、本気で笑ったり怒ったりしてくれるようになったっつーか。・・うまく言えないんですけど。」 俺が黙ってると、永繕はテーブルに降ろしたカップにぐっと手を添えた。 「鍵はかけてなかったけど、元帥、昔は部屋に人を入れませんでした。入ったとしても本当、ドアと机を往復するだけって感じで。山積みになってた本も、転がってたコレクションも、誰も、触ったことなかったんです。」 俺は、あの部屋で、大将の隣で、ちゃんと笑ってる元帥の方が好きです。 きっぱりとしたその顔に、少し目を伏せた。 ・・うん、俺も。 永繕が帰った後、ちょっとしてから今度は洋潤が顔を出し、元帥をどうにかしてくださいと、とがめる様な色を含ませて言った。 自分でどうにかする気はねぇのかと聞けば、 「元帥を変えたのも大将ですし、元帥をああしたのも大将です。・・それとも、」 洋潤はにっこり笑った。 「俺が変えても、よろしいんですか?」 「・・・・・。」 よろしくない、かも。 次の遠征までにはお願いしますよーと言いたいことだけ言い置いて、洋潤はさっさと消えてしまった。 まったく、うちの連中はどいつもこいつも。 鍵をかけたつもりはなかった。 別に、天蓬を信用していなかったから無断で失踪したわけじゃない。 情報なんて何処でどう漏洩するかわかんねぇし欺くならまず味方からというか、知ってたら知ってたで天蓬まで責任が及ぶとか、どうせ次の仕事もつまってないし、そう心配されることもねぇだろうとか、とどのつまり、あまり深く考えての話じゃなかった。 天蓬の脆さを、甘く見ていたんだ。 人を失うことを恐れているのは知っていたが、ここまで過剰反応するとは。 何時かいなくなるくらいなら、最初から受け入れないのか。最悪の時を想定して、常に防壁を建て鍵をかけて。 内側で一人、また眠るつもりか。天蓬。 定番なセリフだが、終わらない夜はどこにもねぇよ。 暮れれば明けるし、寝れば目覚める。 それとも、地軸の回転さえ止めるつもりか? ・・・俺を止めるのは、それより難しい。 全力で踏み切った足裏の感触。 背後の声を掻き消すように、耳元でヒュオ、と風がなった。地上4階からのダイブ。 「――ッ開けろ、天!」 眼下に遠い地面。 血管が縮み上がるような感覚。 突っ込んだ花吹雪の向こう、激突寸前の窓が勢いよく開かれた。 「うっぁ!!」 飛び込んだ拍子にぶつかりかけた天蓬が吃驚の声を上げて飛びのいた。 花びらと一緒くたになって着地した床は汚くて、どうにか物を踏まないようにしたものの、少しよろけた。窓を向くと、天蓬がすかさず外を確認して閉めなおした。 「っ、何事です」 「悪ぃ。軍服じゃなかったからどこの奴らかわかんねぇんだけど、何か恨み買ってたみてぇで。」 いきなり追われてさ。一応こないだ問題起こしたばっかだし?伸しても良かったんだけど、ここで何かやったらまた怒られるかと思って。適当に撒こうとしたら、どんどん増殖しやがるから。 ま、お蔭様で振り切ったみてぇだな。 服についた花びらをバタバタ払い落としてたら、天蓬のため息が重なった。 「貴方ね、だからってどっから入ってくるんです」 「向かいの4階。」 「・・・・な、 天蓬は窓を振り返った。ガラス越しに触れそうな桜の木、少し離れてその向こうに建った官舎を見上げる。ちなみにここは2階だ。 「何考えてんですか!」 「や、あそこから、お前が窓際に座ってんの、見えたから」 「僕が開けなかったらどうなってたと思ってんです、立派な飛び降り自殺ですよ!」 おう。知ってる。何せ高所恐怖症だからな。 「だけど、お前、開けるだろ?」 天蓬が黙った。 「だから飛んだんだよ」 落ちたら相当な強運でも重症は免れないと、自覚してた。 だけど、そこに天蓬の姿を見たら、踏み切ることに躊躇いはなかった。 引き篭もったあいつの部屋の内に入る、丁度いい口実にもなったしな。 なぁ、朝日ってのは、雨戸を全部降ろしてみても、どんなにきっちりカーテンを閉めても、どこか小さな隙間から、するりと入ってくるもんなんだよ。 一度誰かを受け入れたなら、その隙間は人にしか埋められねぇ。いくらお前が完璧に閉ざして、追い出そうとしたって、無駄なんだ。 「あーあ、こんなに部屋汚くしやがって。」 灰まみれのカエルと久方の再開を果たした俺は、とりあえずその溢れた吸殻をごみ袋にあけかえてやった。 眠り姫は茨の城だろうが。ゴミ溜めで寝るアホが何処にいる。 とりあえず、カーテンを開け窓を開け、掃除の前にコーヒーでも淹れて。 「お前また食ってねーんじゃねーの?どうするー、飯作るか」 勝手に朝食を作り始める。 ちゃんと、西方軍元帥じゃない“天蓬”が、顔をしかめた。 「・・・・だからって、いきなり命を放り投げてよこすこと、ないでしょう」 卑怯者。 目の眩むような朝日の中で、お前がつぶやいたから。 俺は笑った。