「何コレ」 「何コレとは失礼な。彼女は僕の友人です。」 天蓬の部屋にまた新たな蒐集物が増えた。 ・・・いや、物、と言ってはいけないらしい。少なくとも天蓬は‘彼女’を友人とみなしているし、事実‘彼女’が他の蒐集物と違い、生き物であることに間違いはなかった。 ‘彼女’の名前は月下美人。 一夜限りの花を咲かせることで‘幻の花’と世に名高い植物だった。 天蓬曰くの‘彼女’は、鉢植えで(室内だから当然だが)、それでも天蓬の身長にやや足りないくらいの高さがあり、支えの棒に寄り添うように立っていた。 「月下美人て初めてお目にかかったけど、意外とグロテスクな形してるな」 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合のよう、っつーのが‘美人’の形容じゃねぇのかよ。 まぁこの場合、花を花にたとえるのもおかしな話か。 サボテン科の植物というのは得てしてそういうものではあるが、名前や噂に聞く美しい花とはイマイチ結びつかない、大きくとがった硬めの葉を眺めて、俺の率直な感想はそんなもんだった。 「だからいいんでしょう」 この葉があってこそ、花が引き立つというものです。 汚い部屋の中で、引き立てられたようにキレーな男はそう言って笑った。 植物どころか自分の世話すらまともにできない男に花なんか育てられるのかと思っていたが、元来サボテンはあまり手のかからない植物な為か、意外にも天蓬がわりと真面目に面倒を見ているのか、彼女はさして問題なく天蓬の部屋に住み着いた。 いや、世話と言うのだろうか。 月下美人は、本当に、‘友人’としての扱いを受けていた。 「おはようございます、いい天気ですねぇ」 「・・・・。」 「今日はちょっと面倒な会議があるんですよ」 「・・・・。」 「僕もできることなら貴女とこの部屋に引き篭もってたいんですけどねー」 当然彼女からの返答はなかったが、天蓬は気にした様子はなかった。 彼女は奇妙なガラクタコレクションと一緒に陳列され、鉢が本に埋もれてもめげずに葉を広げ、日を浴びて静かにその背を伸ばしていた。 何のてらいなくサボテンと(一方的に)話をする天蓬に、最初こそみんな面食らったが、 「貴方、カエルの灰皿とは話すくせに彼女は駄目なんですか。おかしな男ですねぇ」 と俺は笑い飛ばされ、 「サボテンは人の言葉が分かるそうですよ?話しかけていると成長の仕方が異なってくるという・・・・」 と大真面目に語る天蓬に、部下も口をつぐんだ。 熱帯に生息するはずのサボテンと、窓の外で麗らかに咲く桜の取り合わせも日を追うごとに違和感をなくし、俺もまたすぐに彼女を受け入れるようになった。 「・・・・・・はよ。」 「・・・・。」 とりあえず、挨拶をするくらいには。 彼女はひめやかに、肉厚な葉でてらりと日をはねかえして応えた。 しかし、本来熱帯に生きるはずの彼女を、ここに置いておいていいものか。 俺は天蓬の本棚から植物図鑑を探し出して引き抜いた。 [月下美人] ■科・属名:サボテン科クジャクサボテン属 ■分類:非耐寒性:常緑多肉植物 ■開花期:6月~10月 ■草丈:約1m~2m ■花径:約20cm~25cm:夜開性 夏の夜に純白の花を一晩だけ咲かせる為、「幻の名花」と珍重される、サボテンの一種。 樹々が生い茂ったジャングルの木の幹で育つ寄生植物。 原産は~・・・云々。 頁をめくると育て方も記されていたが、それは下界の四季に沿っての話だった。 俺が心配してんは、暦はまわれど季節は巡らぬ天界のこと。 さて、どうしたもんかな。つか、ここに置いといたんじゃ花もまともにつかないんじゃねぇのか。 とりあえず、春、春。 <春> 一日中日のあたる暖かい場所に置く。5月ごろに戸外に出す。 乾かさない程度に水を与え、肥料は施さない。 ・・・へぇ。 俺は窓際の彼女を数センチずらし、窓枠の影が一番かからないところを探してそこに留めた。 俺の心遣いを知ってか知らずか、彼女はちん、と静かに座している。 「お構いなく」 ってか? 一日中日のあたる暖かい場所、な。だったら、一緒に日向ぼっこでもしますか、お嬢さん。 「どうぞ、お好きに」 そう、聞こえた気がした。 いつもの、昼下がり。 安穏とした陽のあたる窓際で、俺はぷしっと霧吹きの水を彼女に与えた。 こうすると彼女が一番気持ちよさそうにするのにも気づいたし、この作業にももう慣れた。 慣れるほどに愛着は増し、親しみも、気安ささえも。 「なぁ、ちょっと聞いてくれるー?ウチの元帥ってばさー、」 「・・・回りくどい男ですね、直接僕に言ったらどうですか」 彼女に向き合っていた俺の後ろで、天蓬が少々手荒く本を閉じた。 「何だ、聞いてたのか」 「自分の名前と嫌味と言うのは、人は誰しも、どんな時でも耳が拾うようになっているんだそうですよ。俗に地獄耳と言うシステムですね、これは脳が・・」 本から目を離せば今度は薀蓄。 「ほら、また始まった・・」 それはいつもの光景で、俺が彼女にこうして小さく耳打ちするのも、もういつもの光景に成り下がっていた。 彼女が、くすりと笑うような気配を見せるのも。 サボテンが人語を解すというのは本当かもしれない。 「あぁ、いい色ですねぇ」 天蓬がそういえば青さを増し 「いい枝ですね」 そういえば彼女はますますたおやかに伸びた。 女は誉めると綺麗になるが、まさしく、それだ。 月下美人の名に相応しく、強くしなやかに成長していく彼女に、思わず零した。 「あんたの花も、拝んでみてぇもんだな」 彼女はつぼみをつけた。 たった一つだけ、花の元を、つけた。 それを見て天蓬は穏やかに微笑み、彼女は恥らうようにそのまだ固いつぼみを握り締めていた。 彼女の花芽は日を追うごとに膨らみを増し、それは何かひどく大切で面映い秘め事を、中に閉じ込めているようにも見えた。 枝葉に見合う大きさで、男の拳ほどもあったが、それはとても柔らかで女性的な曲線をしていた。 何となく触っちゃいけないような気がしたし、まだ緩まないその塊を覆うがくが、妙に生々しい薄朱色をしていた。 それがまるで龍のうろこのようで、うっかり、龍が細心の注意を払って守っているような想像を抱いた俺は、直のこと手が出せなくなった。 深窓で穢れも知らないまま育てられた女を相手にしたときに、なんとなく躊躇うような感じ。 穢しては、いけないもの。 「龍を従えるとは、随分と立派な姫君じゃねぇか」 そっと顔を寄せてみると、ほんのり、つぼみは頬を染めた。 「満月ですね」 会議終了後。天蓬が廊下を歩きながら唐突にほろりと言った。 「あ?ああ、そういえばそうだな」 「今夜、咲きますよ」 回廊の窓から入る風に髪を揺らしながら、天蓬は静かに微笑んだ。何かをかみ締めるように。 「・・・・、てん」 「見にきてあげてくださいね」 その日の日没後、俺は酒瓶を片手に天蓬の部屋を訪ねた。 ノックの返事も待たずに扉を開けると、正面に、開け放した窓の向こう、やたら大きな満月が目に入った。 部屋に明かりがついていない。 月明かりで十分明るいからか、天蓬が面倒臭がって点けなかったのかは知らないが、おかげで随分と部屋の陰影が濃い。 スイッチに手を伸ばしたが、気が変わって止めた。 月下美人と言うからには、月の下で咲くのが本懐だろう。あぁ、だから天蓬もこうしてるのかもな。 薄明かりで見え辛い散らかった床も、入り浸っていればある程度憶測がつく。 障害物を回避して、彼女の傍に座り込む天蓬の隣に腰を下ろせば、即座に文句が飛んできた。 「遅いですよ」 「悪ィ」 酒瓶を掲げると、一瞬迷ったようなそぶりを見せてから、頂きますと言った。 注いでやると、小さく舐めて目を細める。美味いだろ、と同意を求めると、えぇ、ともう一度唇を湿らせる。 彼女の蕾は今にも解けそうなくらい膨らんで、もう時を置かずして咲きそうだった。 満月の月明かり、月下美人、天蓬。 酒の肴には十分すぎる。 いい夜だ。 俺はまだ、そんな風に考えていた。 やがて、ぬらり、と鎌首をもたげるように蕾が頭をあげた。 あぁ、咲く。いよいよだ。 「…天蓬?」 そのとき、かくり、と相反するように天蓬が首を垂れた。 「おい。…天? 天蓬。」 丸めた背と、ふさった後頭部が微かに規則正しくゆれている。 横から覗き込むと、長いまつ毛が伏せられていた。 最近、寝てなかったのか?しかし、こんな時に? 興味を引かれたら、何日も睡眠をとらないそら恐ろしい集中力をみせるこいつが。 もったいねぇの。 一度落ちた天蓬は起きない。有事となれば話は別だが、基本、俺も起こさない。ぎりぎりまで不眠を続け、体が限界を感じて強制睡眠に落ちるなら、起こすべきではないからだ。 今起こさなかったら、あとで恨まれるだろうか。 しかし呼んでみても起きる気配はない。用意周到なこいつらしかぬ話だとは思いつつも、俺は起こすのを諦めた。 そうする合間にも固く閉じていた花びらはほころんでいく。零れはじめた純白に、俺は目を奪われた。 さすがに、幻の花とうたわれるだけある。 華、ひらく。 彼女は、その長いまつ毛をゆっくりと持ち上げるように、咲いた。 つらり、と花が香る。 月さえも従える気品。なんとなしに鳥肌が立って、見入った。 ゆらり、と隣で黒髪が首をもたげた気配がした。 「天蓬…見ろよ。咲いた」 すげぇ。綺麗なんてもんじゃねぇ。 絶世の美人だ。 「・・・」 隣でふっと笑うように空気が揺れて、俺は彼女から動かない顔をそのままに、ちらと視線だけ向けた。 「・・・っ、」 ――魅入られた。 全身の肌が逆立つような感覚。 黒髪に抜ける白い肌。唇がいやに紅い。月を受けて、はんなりと微笑む。 てら、と濡れて光る眼が真直ぐに俺を見ていた。 静かに、艶然と佇む天蓬の、背に、満月。 何だ。 目が眩む。 見慣れたはずの、小汚くて綺麗な男が妙に艶やかに見えた。 背筋を悪寒に似た妙な衝動が走る。いやいやいや、待て俺。こらえろ。 目をそらして月下美人に向き直ろうとすると、天蓬がこっちに乗り出してきた。 ちょっと待て。近づくな。 ・・・・まずいんですけど。 俺のわきに片手が着かれた。 軽くのけぞった俺の肩にもう一方の手を乗せ、身を寄せてくる。 無意識に爪を立てて握っていた拳が、浮ついた。 腕を伸ばせば抱きこめる肢体に、手が、おかしな欲を覚えてる。 「天・・蓬・・・・さん・・?」 至近距離で、長い睫毛が持ち上がる。 水気をたたえて光る眼が、上目に俺を見た。 甘い、匂い。 ――――――――――――ッ 何をどうやったか覚えていない。 気がついたら、天蓬を組み伏していた。 中途半端に長い髪が暗い床に散る。 外れた眼鏡がカシャンと音を立てた。 一瞬驚いたように見開かれた眼が、次第に伏目がちに細められ、たおやかな両腕が俺に伸ばされる。 男にしては華奢な指に、髪を絡められ、後頭部を引き寄せられた。 近づく唇。 匂い立つ来月香。 鼻が触れ合いそうな距離で、低く、搾り出した。 「あんた・・誰だ」 これは、女の仕草だ。 「ひどい言われようですね」 天蓬・・・いや、女が笑った。月光下で笑う花の顔。 「貴方が、会いたいとおっしゃったのに」 今は、その白い手も頬も、驚くほど似ていた。先刻咲いたあの花に。 「あんたか。―――――月下美人」 彼女は嬉しげに首肯した。 あぁ、そうしてると本当に、月の下の美しい人。 「会えたのは確かに光栄だけど、な。・・・・天蓬は、どこいった?」 この状況は心臓に悪い。色々と。 「眠っていますよ。中で。」 彼女は、とん、と指先で自分の胸を指した。 「一晩だけだからと、身体を貸していただいたんです」 一晩。 彼女は悲しげにそういった。そうだ、彼女は一夜限りの幻の花。 その一晩を何に、 「捲簾」 顔をあげ、強い瞳でこっちを見る。 そうすると一瞬だけいつもの天蓬と被った。 肝心な、オイシイ場面でだけ、すらりと背筋を伸ばしてまっすぐ相手を見る、天蓬。 「貴方が、好きです」 その声で、言われたら。 反則。 常春の夜気に、寒いのか熱いのかよく分からなくなった頭で、口をひらこうとしたが、何の言葉も出てこなかった。 天蓬が、いや彼女が、少し切なさの混じる目をした。 「返事は要りません、もう知っていますから。」 何を、知ってる。 そう言えなかった。多分、その答えを聞いたら、何かが壊れる気がした。 「ずっと貴方を見てきました。貴方とこうして時間をすごしてみたいと思っていたし、貴方が会いたいといってくれたからここまで来た。 会えて、幸せですよ。ただ・・・・時間が、ないんです。」 ねぇ、今晩だけ、貴方をくれませんか。 思わず眼を瞑った。 わかってる。天蓬じゃない。だけど。 ――何を思って、彼女に自分を明け渡した、天蓬。 「女に、恥をかかす気はねぇよ。 でもな、そいついくらキレーな顔してても男だぜ?誰か女に憑いてくれたら、喜んで応えるけど」 彼女はきょとんとした。 「男だとか女だとか、そういう問題じゃないでしょう? この身体じゃないと意味がないと思ったから、天蓬を選んだんです。」 貴方にとって、唯一無二じゃないと、意味がない。 違いますか。 「・・・・・・・・・悪かった。」 彼女を生半可な答えで誤魔化せるはずがなかった。 天蓬と共に昼夜を過ごし、今、一晩の命をかけて俺の前に立つ女を。 ぴたりと据えられた視線が苦くて眼を瞑る。 深く呼吸をした。 「そこまでわかってるなら、・・わかるだろ?手ェ出すわけに、いかねぇの。」 非常に、魅力的なお誘いではあるけれど。 俺が欲しいのは、あいつの器だけじゃないんだ。 はっきり言葉にしてから眼を開けると、彼女は少し困ったような、諦めたような、愛しいものをみるような、優しい目をしていた。 天蓬じゃ絶対に見せてくれない表情。 俺は酒をついで彼女に差し出した。 彼女に受け取らせ、自分にも注ぐ。 小さく杯を合わせて飲み干した。 「だから、酔ってたことにしといてくれ」 腕を掴んで引き寄せ、倒れこんできた身体を抱きしめた。 天蓬の甘い煙草と、来月香の匂い。 鼻先に香るそれをそっと吸い込み、肩口に顔を埋める側頭部へ口付けた。 彼女は何も言わずに、ただ俺の背に腕を回した。 冷えた夜と月の中、触れた彼女は陽だまりのようにすべらかで、暖かかった。 やがて、朝が来るまで。 満月が陰り花が褪せ、朝日と共に、ゆっくりと天蓬が眼を覚ました。 何かを確かめるようにぼんやり自分のてのひらを眺めたあと、眼鏡をかけなおして、ぽつりと聞いてきた。 「美人でしたか」 ・・・・ああ。 目に焼き付いて、未来永劫焦がれ続けることになりそうな、最高の美人だったよ。
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