西方軍に来て、いくつか知ったことがある。 「あー、いいですよねぇ、この赤」 控え目に言っても奇怪な、ヤモリともトカゲとも知れぬ置物を前に、元帥が唸った。 とてもじゃないが軍の高官の執務室の風景にはみえない。 「・・・はぁ。」 肯定も否定もできずに、俺は曖昧な相槌だけを返した。 持てる限りの美術的感性を総動員しても、いまいち良さの分からない爬虫類と、飽きることなくにらめっこをしている上司に、俺はどうしていいのか分からなかった。 とりあえず、元帥は、風の噂に聞くよりも、遥かに変わった人物だった。 【主観者の遠景】 なぁ、大将見なかった?と声をかけられて振り返ると、同僚が書類片手に困り顔をしていた。 今日は見てないなーと応じながら、ぐるりと辺りを見回す。・・・いた。 「あそこに桜並んでるだろ。左から5番目の下。」 同僚は、今いる渡り廊下の前の大庭園の向こう側の端の巨大な池のほとりの立ち並んでる桜を見て、あっちか、と言った。 「ありがと、遠目!」 手を上げると、同僚はたったか走っていった。 ・・・ときに、俺の名前は遠目ではない。 ただ、アホみたいに視力が良くて、やたら遠くのものまで見えてしまうから、移動初日に上官であるところの捲簾大将が「じゃ、お前遠目な。」と言ったその一言で、俺は遠目になった。 今は、本名を呼ばれるよりも早く振り返れる。 「へぇー、やっぱりすごいですねぇ。」 廊下の向こうから、元帥がふらりと現れた。 よれよれの白衣。ずれた眼鏡を直すいつもの仕草。何時見ても分厚い眼鏡だと思う。 重そうなレンズ越しに視線を投げて、困ったように元帥が笑った。 「何となくピンクに見えるだけで、僕には桜も見えませんよ」 そう言いながら、目を細める。 風が渡って、元帥の長い髪と白衣の裾を翻らせた。 「ねぇ、何が見えるんです?」 その目は。 元帥が子供みたいな顔で聞いてきた。先に望遠鏡を覗いた友達に、問いかけるような顔。 時々、この人の落差にめまいがする。 「何とおっしゃられましても。・・・空とか。樹とか。あっちの城壁の落書きとか、山脈の形とか。」 出来るだけ遠くのものを、言葉を捜しながら描写してみる。 元帥は俺が指す方を見ながら、へーとかほーとか小さな感嘆を漏らしながら、それを探しているようだった。 急ぎの書類だったのか単に体力を持て余してるのか、さっきの同僚がもう大将の近くまで走ってきている。 もうすぐ、大将の口が「おー、どしたの」と、あの低い声を伴って動くだろう。 元帥が煙草に火をつけながら言った。 「いい目ですねぇ。大事になさい」 その日、元帥の執務室の扉を恐る恐る開けたら、本は雪崩れて来なかったが、その代わりに元帥までいなかった。 ええと、あの。鍵。 確かに好き好んで開ける奴はいなさそうな部屋だけど、重要書類も機密文書も山と詰まっているだろうに。 留守番すべきかな、と考えながら持ってきた紙束を見た。頼まれてた調査書だ。 これは置いとけばいいか、と何気なく執務机の上に乗せたら、見ないほうがいいものまで見てしまった。 ・・・・日記。 日記をつける習慣があったことに驚いたが、改めて考えればそれほどおかしな話でもない。 ちらりと見えた文は、特に何てことない日常描写だったけど。 「何か御用でしたか」 「うわぁ!」 いきなり背後からの声に心臓が縮んだ。 「げ、元帥」 いつ。どこから。湧いて出たような登場の仕方だ。 振り返ると、わずかに低い位置にあるきれーな顔が、あれ、やましい事でもしてたんですか?それはすみませんでしたねぇ、と意地悪に笑った。 瞬間的に白くなっていた思考回路を復旧させる。 「・・・・・。元帥。調査書を、」 「ああ、出しっぱなしになってたんですね」 机を回りこんだ元帥が、ぱたんと日記を閉めた。 見ちゃいました?と悪戯がばれたようにいうので、正直にはいと言うと、貴方って目はいいけど間は悪いですねぇ、とのんきな感想を述べられた。 ・・当たっているだけに笑えない。 日記は、‘よそ行き’の字で書かれていた。 元帥の筆跡には2種類ある。すごく昔に見た、学校の‘かきかた’の教科書みたいに整った書体と、草書体もびっくりなほどのたくった字。ちなみに後者は達筆過ぎるというわけではなく、普通に汚いだけだ。 普段は勿論汚いほうで、俺がここに配属になったとき、一番最初の命題は「元帥の字を読めるようになること」だった。 あんまり読みづらいから竜王に叱られてさー、そしたら元帥ムキんなって。超達筆になったの。と、古株の同僚が教えてくれたが、残念ながら書くのは面倒くさいらしく、提出用でないものは未だに読みづらい方が使われている。 ということは。 あの日記は、誰かに読ませるためのものなのか。 「・・・交換日・・」 「そんなわけありますか」 ですよね。 ふっとまぶた落とした元帥が笑う。 風が吹いた。 「まぁ、いつか、いなくなったときのためにね」 ばさばさばさ、と部屋あちこちで書類がはためいて、鳥が飛び立つような音を立てた。 今、体の芯にずっぽり穴が開いた。すごい落とし穴を踏み抜いてしまった気がする。取り繕わなきゃ、と訳の判らない焦燥感を感じて、でも何もいえなくて、固まった。 元帥が何か言ってる。軽い声。何故かひどく遠い。 立ち尽くした俺に、元帥の眼鏡が全反射をおこして白く光る。目が見えない。だけど、穏やかでい楽しげな、いつもの光を湛えてるのがわかる。 最後だけ、耳に残った。 「内緒にしてください、ね?」 遠征の予定ができた。 遠征自体は数週間先の話でも、調査部隊はすでに降りてるし、幹部間では既に遠征の具体的な計画が組まれている。 言伝を頼まれて出向くと、目的の扉の中から何がしかの破壊音が聞こえた。・・取り込み中だろうか。 「だからそっちのルートは不確定要素が多すぎるといってるでしょうが!」 「じゃー他にどーしろっつーのよ、こっちか?こっちを三日でいけるわけねーだろーが!」 「僕は希望的観測というやつが嫌いです。無茶でも確実な行程を取ります」 多分大将は舌打ちしただろう。轟音を立ててドアが開き、俺とは反対方向へ去っていった。多分何人かが呼ばれてまた斥候に出されるだろう。 どうしたものか。 室内をのぞくと、元帥が机に突っ伏したままうなった。 「・・用ですか」 「急ぎではないんですが、言伝を」 用件を言うとメモ用紙を投げられた。書いておけということらしい。 この人は確かに記憶力がいいが、懸案事項が多すぎる。 「・・・さっきのお話ですが」 出しゃばったかな、と思いつつも、書き終えたメモを置いて広げられたままの地図を見る。 「こちらのルートでも大丈夫そうに見えますが」 おそらく大将が指したであろう道を指す。そのあたりはきつい山岳地帯で、完全な事前調査が難しいことが不安材料なんだろう。 だが、第一小隊の能力と敵の分布や地形を換算すれば、危険は残れどできないことはなさそうに見える。 元帥が髪の間からちりと目を上げた。 「70%はね。僕は100%に近い確信がほしい」 無茶な。とは、声に出さなかった。戦場において100%がありえないのは元帥が一番よく判っているはずだから。 元帥はまた顔を伏せた。 いまこの頭の中で、それだけの情報が演算されているんだろうか。 「僕はね、臆病なんですよ」 人が死ぬのは嫌だし、それが部下ならよけい嫌だし、死ぬどころか怪我の一つもしてほしくない。 うちの小隊がなかなか腕か立つことは判ってるし、信用もしてるつもりですけどね、いつどこで何が起こるかわかんないんですよ。 切り傷一つで、人間死ぬときゃ死ぬんです。 ほとんど独り言に近い言い訳を一通り聞いてはみたが。 正直な感想として、それは軍師の意見にしては・・ 「心配するのが軍師の役目なんですよ」 意外なほどあっさりと、元帥は弱さを口にした。 結局、大将が元帥が満足するだけの調査資料を引っかき集めてきて意見を通した。 遠征本番、元帥が懸念していたようなことは一切起きなかった。 だけど何年もしてから、事前の準備もなくそのルートを通った他軍が、奇襲に遭って手酷い被害を被ったと聞いた。 かつて。 戦場で震える元帥を見たことがある。 遠くから、為す術なく第一小隊を見つめる元帥を。 あれが素顔なんだろうか。という疑念は、ときに根本から打ち消される。 「大丈夫」 いくら元帥が緻密な作戦を立てても、不測の事態というものは起こりうるし、嫌なことというものは重なる。 俺が第一小隊に入って、何度目の出陣のときだったか。 報告書にない敵、未確認な敵の力、追い込まれたのは何のデータもない地域。 戦力も装備も乏しく、第一小隊は分断され、転戦に次ぐ転戦に気力も体力も尽きようとしていた。這う這うの体で木陰に身を寄せたのは5人だけ。怪我で動かせずに置いてきた仲間も居たが、俺達もそれほど差があるわけではなかった。次に立ち上がるのは気が遠くなるほど億劫、緊張の糸は擦り切れる寸前。もうこのまま死んでもいいからここでくたばって眠り込んでしまいたい。 見知らぬ土地の湿った土の臭いに、自分達の腐臭が混じる。 敗戦は目の前で、今度は生きて帰れるかも分からなかった。 「大丈夫ですよ」 緩みかけた汚い包帯に吐き気をこらえ、麻酔銃の残りにかすむ目をやっていた俺は、その何気ない一言に顔を上げた。 元帥が笑っていた。 抜けた風に、元帥の解れてばさばさになった長い髪が揺れた。 土ぼこりと乾いた血と瘡蓋、ふけや垢に塗れたなかでも、不敵な自信に満ちた顔。怖いものなんて何にもないような。かっこいいとか綺麗とかそういうレベルじゃなくて、そんなんじゃなくて、その場に居た全員が息を呑んだのが分かった。 この人が大丈夫といったら大丈夫なんだと、無条件に信じた。信じられる笑顔だった。 あの時、全員の信頼を背負った元帥が何を考えていたのか知らない。 冷静に考えれば、あの笑顔に何の根拠も無いことは分かる。 でも、俺たちは元帥を信じてしまった。 「だからもう少し頑張ってください。貴方方に何かあったら泣きますよ」 ノイズ交じりの無線の向こう、大将がひび割れた軽い声を出した。 「うわー俺らって愛されてるー」 「そりゃ、愛してますよ?」 当たり前のように、さらりと。元帥は口にした。 大将は何も答えなかった。 「あと三日、僕にください」 元帥は気にするでもなく今後の行動の話に入り、大将とあれこれ打ち合わせると、何事もなかったかのように通信を切った。 あのときの元帥の顔と言葉は、いつまでも俺の記憶から抜けない。 三日後、本当に嘘みたいにゲートの前で全員が顔を合わせて、帰還した後も、何度も、何度も、機会あるごとに思い出した。 「・・・元帥って、わりと直球ですよね。」 ふと、酒の席でそう漏らしたら、一緒に居た第一小隊の数人が、「お前もそう思う?」と返してきた。 「元帥ってさー、プライド高っいけど、なんつーの?元帥基準に引っかからなければ結構何でも平気だよな。」 「な。偶にさぁ、ぎょっとするようなことふっつーの顔して言ったりするし。」 「大将の方が実は見栄とかはるんだよなー」 男のプライド!とかさ。 かっこつけなんだよ。 まぁ確かに、かっこいーんだけどなー。 「お、遠目。ちょーどいいとこに」 廊下の角を曲がったら、こっちを見た大将がにっこり笑った。 丁度いいとろに、という言葉は、得てして発した方に丁度いいので合って、言われたほうにはあまりいいものではない。 証拠に、大将の後ろから、高官と思しき人物の罵詈雑言が追いかけてきている。 「手伝え」 大将はまるで構う様子も無く、それだけ俺に告げた。 何をも否やもない。 早足に歩く大将に慌てて続くと、着いた先は官庁資料室。無論、軍の管轄内ではない。 一般公開はされていないどころか、入退室に記録は付くし、閲覧許可も身分証明も公的な理由も要る。 まさかそんな正規の手続きがそろっているとは思えない。 俺は顔をしかめた。 門前払いを食らうのがオチな上、ここに来たという事実すら、後で方々からの嫌味と小難しい駆け引きの足を引っ張りかねないんじゃ、 「大将・・」 俺がそう判断して引き止めるよりも先に、資料室の管理番がこちらに気づいてしまった。 お役人然とした顔が立ち上がり、口を開く。 続くお堅い言葉の数々に、俺は早々に頭痛を覚える・・・はずだった。 「捲簾大将ですね。こちらへ。」 返ってきたのは待っていましたといわんばかりの迅速な対応。 思わず大将の顔を盗み見たが、硬質な表情の中身は読めなかった。 何だ?よもや、さっきの大将とやり合っていた人物が即刻手をまわして来たのかと俺は益々警戒を強めた。 しかし管理番が連れてきたのは資料室の裏扉で。 無言で扉は開かれた。 「・・・。」 軍人の口は災いの元、余分なことは聞かないに限る。 ただ、何かと処世に不器用な俺は、今回も顔に出てたのかもしれない。扉が閉まった後で俺を見た大将が、眉の端を下げて言った。 「どうせ天蓬が根回ししといたんだろ」 いつの間に。 まさか今の今ではないだろう。こうなることを予見していたんだろうか。 威圧感を持って整列する重厚なつくりの本棚を見上げて、大将は幾人か要人の名前を挙げた。 「こいつらの関連するもの片っ端から調べるぞ」 「・・・はい」 今度こそ教えてもらわなくても分かる。度々西方軍に苦汁をなめさせる政治的取引、情報操作。 下手に首を突っ込めるものではないし、小説や映画のように劇的に悪事を暴くようなことが実際にできるわけは無い。 天界に巣食った権力志向の腐敗は広く深く、誰か一人を退治すればいいようなものでもないだろう。 ただ、先日の一件で、積もり積もった何かが大将の中で切れたのかもしれなかった。 「元帥が根回ししてくれてなかったらどうするつもりだったんですか」 他に閲覧者が居ないのをいいことに、広い机を贅沢に使って引っこ抜いてきた資料を山積させる。元帥の執務机より広い分、一時的にあの部屋をしのぐしれない。 人よりも紙の方が多い空間、空調だけが温度と湿度を調整する独特の空気を吸いながら尋ねると、考えてなかった、と何とも心もとない答が返ってきた。 「え。」 そんな。 大将は紙束から顔を上げず、結構な速度で読み飛ばしながら淡々と言った。 「いいんだよ、あいつが地に足付けてるから」 俺は何やっても。 突拍子も無かったり暴走したりして見えるけど、あいつが誰より地面に根っこ張って、まっすぐ立ってあれこれ見てるから。 あいつの手の内にいる限り、何やっても大丈夫。どれだけ高く舞い上がって落っこっても。 ちゃんと分かってるから。 その言葉に、蟠っていた疑問が口から漏れた。 「だから言わないんですか?」 手元の資料を忘れて、俺は大将を注視した。 だから言わないのか。 元帥は分かってるから。言葉で言わなくても。全部。 ・・・だけど、それは 「貴方までつき合わされたんですか」 ほんとだ。この人どこまで知ってるんだろう。 大将と二人、しばらく、だいぶ、相当な時間資料室に篭った後、出てきてから最初に顔を合わせた元帥は眉を寄せて言った。 「本当によく巻き込まれますねぇ」 しみじみ言われると切ない。 ま、おかげで色んなものが見えたでしょう、と元帥は笑った。 俺は、何て返していいのか分からなかった。 余分なことは聞かないに限る。そう思っていたし、それは間違っていないと思う。 腹に半リットルも薬をぶち込まれりゃ誰でも洗いざらい吐くし、右を向けといわれたときに、何で右向かなきゃなんねーんだと考えてたら軍人は死ぬ。知らないこと、考えないことは軍人の自衛策でもあるはずだった。 分かってたのに、俺はあの書庫で多くのことを知ってしまった。 汚い社会の関係図を。 この世界の澱んだものを。 知ると考えてしまう。疑問を持ってしまう。 あれを把握していて、元帥は何で地に足をつけてまっすぐ立っていられるんだろうか。 ちょっと落ち込んだ俺の横で、元帥はその猫背を反らして伸びをした。ばきばきばき、と俺の耳にも不健康そうな音が聞こえる。歪んだフレームの向こうで、へらり、と笑うひょろ長い男は、ただの人のようにも見えるのに。 「・・遠目。よく見ておきなさい、今の天界を。」 世間話の口調で、元帥がすごいことを言うのを、俺は黙って聞いていた。 折角、貴方遠くまで見えるんですから。 遠く、高く、深い視点から。 戦場であれば戦況を、平時であれば政治の大局を、時代の流れを、歪みを。すべてを見ることはできなくても、人より多く見えるのなら、よく見て覚えておきなさい。 情報は時に武器になる。知らないほうがいいことも有るけど、まぁ、知識というものは基本的に損にはなりませんよ。 何処で誰が取ってきたのだろう。あまり綺麗に活けてあるとは言えない、素朴な雰囲気のコスモスが元帥の机の上の一輪挿しで首をかしげていた。 「・・・・そうでしょうか」 つい、俺まで首をかしげた。 俺は見えすぎて失敗したことの方が多い気がする。素直に告げたら、元帥が優しい顔をした。 「僕ってね、死ぬとき絶対後悔すると思うんですよ」 一般的に、我慢して後悔するのとやって後悔するのじゃ、後者の方がいいって言うじゃないですか。 どっちにしろ後悔が付きまとうなら、いっそ全部やってやれ、と思ってるんですけどね。 やりたいことが多すぎて追いつかないんですよ。 欲張りなんで。 だからね、出来るだけ今出来ることはしておかないと。 言いたいことはその場で言わないと。 あの日記を見て以来、誰も死なない作戦を立てる元帥は、時々俺に、こうして自分が死ぬ話をする。 これも言いたいことの一つなんだろうか。 元帥は風に揺れるコスモスに目を細めた。読みさしらしい元帥の本が日の光を受けてる。 「元帥が俺と同じ視力を持っていたら、やっぱりあれこれ見て歩きますか」 「ええ」 即答だった。 まぁ、残念ながら僕の視力はこの通りなんで。見えないほど遠い場所のことは本で補ってますけどね、と元帥が笑った。 「結局は、悪あがきですよ」 日記をつけているのもこの為だろうか。言いそびれたことを、誰かに伝えるためだろうか。 誰かに。誰に。 遠目。悪あがきでも、僕はこの花の色を知れて幸せだし、こうして貴方と話せたことも忘れませんよ、と元帥は本当に幸せそうな顔をした。 殺伐とした軍隊という組織の中で、この人はだけど、それでも、些細な日常を大切に愛しんで生きてる。 花ひとつ、風ひとつを。 「元帥」 この人には何が見えるんだろう。痛烈に知りたいと思った。 俺より遥かに視力の悪い元帥に見えて、俺に見えないもの。 ずっとずっと遠く。 元帥が、何ですか、と振り返った。 「・・遠目って呼ばないでいただけますか。」 貴方だけは。 この千里眼の前では。 俺は、俺の盲目さを知る。 だけど、それは・・・甘えてませんかね。 無礼を承知で、資料室の紙の山の隙間から俺は大将に言った。 言わなくても伝わるってのは、あると思いますけど。元帥だって万能じゃないだろうし、実際に言うのって、もっと、こう、付加価値みたいなものが・・ 尻すぼみになる自分の声を聞きながら、俺はまた処世術を間違えたと後悔した。 が、いつまでたっても返ってこない声に、耐えかねて大将の顔を窺うと、ちょっと見たこと無い、微妙な顔をしていて。 大体のことに迷いの無い大将が、珍しく言葉を探していた。 「あー・・言いたくなったら言うよ」 決まり悪そうな返事がおかしくて、さっきの後悔は吹っ飛んだ。 「いつの話ですか」 言いたいときにはもういないーって方が世間じゃよくある話ですよ、と笑ったら、いいんだよ、と今度ははっきり言われた。 「言いたくなったら言える距離にいれば」 ずっと居れば。 天界とは思えない惨劇の場。 西方軍第二小隊が全滅していく地獄のような場面。 親しくなかったとはいえ顔見知りの元同僚たちが、俺たちの手で絶命されていく只中で、俺は元帥と大将とその庇護者たちの背中を見ていた。 元帥はここまで読んでたんだろーか。だとしたら本当に千里眼だ。 肩を並べて、本当にあの距離を保つ元帥と大将を見ながら、言う方がよっぽど簡単だろうに、ホントかっこいーですね大将、と胸中でつぶやいた。 此処を片付けたら、元帥、元帥の部屋を漁らせていただきます。 爆破されたあの部屋から、あの日記を掘り出しに。 あの日記は人に読ませる為の物でしょう? ちゃんと見つけて、竜王にでもお渡ししますから、先にちょっと覗かせて下さい。 貴方の見ていたものが見たい。 覚えておくから。 この目で、貴方が見た、その先を見るから。