「あー・・・気持ち悪ィ・・・」 ぼやいたところでどうにもならないのは分かっているが、行き場の無い倦怠感とかそんなものが思わず口から零れた、というような声がした。 そんな主に構わず、遠征後の大将執務室は窓から麗らかな日差しを入れて、ひどく長閑な光景を作っていた。 さっきまでは。 ノックもせずにドアからカコカコと入り込んできた来訪者が、不機嫌そうにその空気をかき回すまでは。 【不可欠欠乏】 「血の気が有り余ってたんじゃないんですか。」 「・・・・・。」 立ちはだかった天蓬の前で、布団の塊がだるそうに身じろいだ。 「いえ、確かに有り余ってたはずなんですよ、じゃなきゃあんな真似するはずありませんからね。まったく何考えてたんです、馬鹿正直に切り込んだらこうなることも判らなかったんですか、あぁそうですか、僕のとんだ見込み違いでした。副官の任を降りさせていただきます、今後一切上司である僕の許可なく視界に入らないでください」 出血多量で貧血を起こして気分が悪いから、傍でまくし立てないでもらえるだろうか。と、非常に筋の通った意見を持った捲簾は、掠れ声で布団の中からその旨を告げた。その時点で既に頭が回っていなかったのだろう。 天蓬はにっこりと笑った。 「あぁご気分がよろしくないんですか。奇遇ですね、僕は機嫌がよろしくないんです誰かさんのおかげで。」 しくじった、と思ったときにはもう遅い。 「中途半端に血液が足りなくて困っているなら、いっそ全部無くして楽にしてあげましょうか?」 白衣の下から不意に出現した脇差の鍔が、カチ、と小さくこの上なく不穏な音を立てた。 遠慮のない圧し掛かるような殺気に、思わず抱え込んだ枕の下に銃の感触を確かめた。 つっても、このまま遣り合ったら確実に負ける。いや、負けて済めばいい。 何せ相手が悪い。 下手したら、死ぬ。 「――――――・・・」 息を殺し、ひっそりと相手の気配を探る。先に動いたのはやはり天蓬だった。 「――なんて、ね。」 霧散した緊迫感と同時に、ドス、と何か床から重たげな振動が伝わってきた。 よろしくない気配がする。 「・・・何・・・?」 「始末書。ちゃんと書いといてくださいよ」 布団の端からちらりとそれを見ると、うんざりするような紙束が脇に置かれていた。 「見舞いには花かメロンじゃなかったのかよ・・・」 「あははは!ぼくが見舞いに来たと思ってるんですか貴方。」 「・・・・・。その量。始末書だけじゃなくてお前の分の報告書も入ってるだろ・・・」 「ほう?僕にこの報告を書けと?大将の独断行動により任務は完了致しましたが負傷者多数、指揮官である私は後方から呆気に取られて見ているだけでしたと?」 「わかった悪かった俺が書く、」 「不利と見れば敗走も辞さないと言ったでしょう!」 一度は抑えたはずの怒りをまた暴発させた天蓬は、忌々しげに横を向いて舌打ちした。 そう、悪いのは天蓬ではない。 天蓬は退こうとしていた。あれは確かに退き時だった。 戦において引き際が大切なことは良く知ってるし、時としてそれが命取りになることも知っている。 ・・・ただ、それを理解しない連中が居るのも、知ってる。 敵を前に退けば敵前逃亡だと罵り、紙上の記録だけを見てわあわあ騒ぐ奴らが居るのを。 近年力をつけてきたそうした奴らの一派に、短気な天蓬がイラつかされていたのを。 ま、おかげで思わず強硬手段に出てしまった、なんて言ったら、逆に天蓬の高っいプライドが木っ端微塵だけどな。 捲簾は布団の中で小さく唇をゆがめた。 「いつ?」 「え?」 「いつ?それ。提出期限」 「明後日の昼です」 「ん、わかった」 書いとく、と布団越しにくぐもった声をあげると、空気が小さく揺れた。 天蓬が帰るのかとぼんやりする頭で考えたが、わずかに躊躇ったような気配がした後、ポツリと聞こえた。 「・・・・・書けるんですか。」 「・・・ん?」 「・・書けるんですか。そんなんで。ちゃんと、座って、文章考えて、筆、握れるんですか。」 ぽろぽろ落ちてくるような不器用な言葉に、ようやく捲簾は自分が心配されているらしいと思い当たった。 のろのろと布団から顔を出すと、天蓬はちょっと途方にくれた子供のように立ち尽くしていた。 うつむいているのを下から見上げた格好だが、髪と眼鏡が邪魔で表情が見えない。 ただ、静かに拳が握られていた。 大丈夫ですか、でも、心配したんですけど、でもなく、そっと言外に無事なのかと問う天蓬に、思わず奥歯をかみ締めた。 ・・・・・・・わかりにくいんだよ。 もう一度頭から布団をかぶりなおして、深く息を吸った。 「ちょっと、血が足りねぇだけ。」 「・・鉄でも舐めますか」 チャキ、と鞘と刃の触れ合う音がした。 「朝。」 「・・は?」 「明日の朝。起きれば治ってるから」 捲簾は布団の中でもそもそと動くと、にゅ、と手だけが天蓬の視界に突き出された。 だからお前は、これでも読んで待ってろ。 「・・・・新刊。」 捲簾が差し出したのは、最近天蓬が好んで読んでる小説シリーズの新刊だった。 それは天蓬より先に捲簾の元を訪れた永繕と洋潤が、お見舞いだといって置いていったものだったが、捲簾は何で俺にと問わなかったし、天蓬もどうしてここにとは聞かなかった。 聞かない方がいい、聞いてもろくでもない答えが返ってくるような気がしていた。 本当に、できた部下どもだ。 天蓬はそのまま座り込むと黙って本を手にし、捲簾は本格的に寝直そうと寝返りを打った。 捲簾が眠りに落ちる直前、 「まだ、気持ち悪いですか」 と、無愛想な声がぼんやり聞こえた。 「・・・・いや。気持ちいい、かも。」