知ってるつもりのこともある。 見えてなかったこともある。 別に騙しちゃいませんよ。・・言わなかっただけ。 「古今生類百科」 天蓬の部屋には多種多様の本がある。 俺も、天蓬ほどとは言わなくても、一切本を読まないわけじゃない。 片付けている最中に、気になるものがあれば、開いてみることだってある。 その本を開く気になったのは何故か、と説明するのは難しい。 何となくだ。 大振りな図鑑。表紙が剥がれ落ちそうなほど年季が入っていて、わずかに埃っぽい。 積みあがった本の山の底辺にあったそれを拾い上げて、ぽんと表紙を叩いた。 ざらりとした緑色の手触り。 開いたら、久しぶりの屈折にみしりと紙の背が鳴いた。 端のところから黄ばんだページ。 墨で描いた絵は古めかしく、天蓬の好きそうな雰囲気がする。 妖怪百科みたいだな、と思ったが、よく見たら本当にただの図鑑だった。犬とか狐が、なかなか的を射て描いてある。 いつの時代のもんなんだか。 ちょっと興味を引かれて、床に座り込んで本格的に捲くり始めた。 ・・相当に達筆な水墨画と筆跡だ。獣・魚・鳥、無造作に見えて絶妙な色と線。 あー。これは綺麗だ。 絵は嫌いじゃない。細部から一字一句まで目で追いかけ始めると、次第に夢中になった。 銘は無いけど、当時では随一の絵師によるものだったのかもしれない。 黒の濃淡だけで描かれる動物たちは紙の上で生きているようで、魚は泳ぐし獣は飛ぶ。 次々先へ進んでいくと、途中であれ、と手が止まった。 河童がいる。 古い本だし、これが描かれた時分には河童は実在すると思われていたのかもしれない。 水辺に住む蛙や沢蟹に混じり、ちょこんと並んでいる河童はなかなか笑いを誘った。 天蓬の趣味もそこまで悪くない。 海、川、谷、山、林のいきものと来て、身近な里に住むものが並び始めた。 此処まで来ると、絵や文字もさることながら、描かれる種類の多さにも感心してくる。 本当にいつ誰が描いたのか。遠い地の動物まで、ありとあらゆる生き物が載っている。 そう思いながら開いた頁で、思いがけないものを見た。 『天蓬』 それは真に受けるにはおかしすぎて、落書きや冗談で済ませるには出来が良すぎた。 そこに描かれていたのは、ばさばさの髪に野暮ったい眼鏡、不必要に整った目鼻立ち。 筆は天蓬の特徴を実によく捉え、尚且つ、他の絵とまったく同じ筆跡で、同じように黄ばんだ紙の上で、同じように色褪せていた。 「・・・・・。」 図鑑の裏表紙を捲る。 確かめた刊行年の年号は、聞いたことのないものだった。 下界モノかな。 多分製本の様式からして東の方の国、と当たりをつけて、本棚から別の下界の歴史書を引っ張り出す。 ぱらぱら頁を繰り、年代表を引いたがなかなか見当たらない。 相当遡ったところでようやくその年号を見つけた。 天界の年に換算してもかなり古い。 天蓬の歳ははっきり知らないが、考えるまでもなく、この図鑑が描かれた時代に生まれているはずがない。 かといって、図鑑をあれこれひっくり返してみても、後からページを加えたような跡もない。 「わけわかんねぇな。」 遊びにしては相当に手が込んでる。 生物図鑑に天蓬個人を載せるなんて、なかなかイイ趣味だけど。 何のためにこんなもん。 首をひねりながら、さっきの頁に戻ってみた。 見れば見るほど似てる。腕のいい絵師だ。 顔の斜め下に『天蓬』の題字。添え書きまで読んでみる事にした。 『天蓬』 詳しい生態は不明。 白衣に眼鏡、長髪、姿かたちは長身痩躯の人の男性に酷似。習性や生活環境も人のそれと近い。 ことに書物を好み、本に埋もれるようにして生きている。 知能指数・運動能力は高い。 寿命が長く、見た目はほとんど不老である。 ときに人の数十、数百倍生きる。しかし、不死ではない。 繁殖生態は不明。人間の男性に似ているが、女性体は報告されていない。単独で行動する。 人に紛れて生活するが、個体数が少なく、また「天蓬」の認知度も低いため、人間の方も‘天蓬という名前の人間’だと思い込んでいる事例が多い。 本来は異なる姿を持っていて、普段は人に擬態しているという説もある。 気をつけなくてはならないのは、人に危害を加える場合があることで、特にそれは自分の正体に気づかれたと―――― 「捲簾?」 背後から声がした。 いつもの。天蓬の声。呼んでる。 「何持ってるんですか?あぁ、それ・・・・」 妙に身体が冷たい。 硬直した首を、ゆっくり回して、肩越しに振り返った。 「見ちゃいました?」 そこには、 「うわぁああ!怖ぇ!すげー怖ぇ!!え、で、どうなったんですか大将!?」 いくつもの目が恐々自分を見つめている。 中には耳を塞いだ部下まで居るが、それでも立ち去らずに自分をみているのは、それこそ怖いもの見たさというヤツか。 捲簾はさぁ?と首をひねった。 「そこで目ぇ覚めちまったもん。」 えー!と一斉にブーイングが上がる。 からから笑いながら、捲簾はくわえていた煙草を口から離した。 「でも結構なリアルホラーだろ?起きたらすーげぇ寝汗かいてた」 どっと部下たちが笑う。 訓練の後の鍛錬室。 雑談のつもりが昨日見た夢の話になり、いつの間にか聞かせ語りになり、その内容に一同、ただの汗が冷や汗になりかけたところだが。ついたオチに各々が勝手にものを言う。 「でもさー、他の誰かならともかく、元帥ってあたりがたまんねぇよな」 「そーそー。マジであるかもってちょっと考える」 「実際あの本の山ン中にあったりして」 「わー止めろよ、うっかり見つけちまったらどーすんだよ!」 ぎゃーぎゃー騒ぐ中、一際耳に残る声がとおった。 「何の話ですか?」 喋っていた全員の声が、切れて泳いだ。 声のした扉に、視線が集まる。 キィ、と変に甲高い音を立てて、ドアが開いた。 「聞いちゃいました?」 そこには。