駅前通りの一本裏。 通りに面したガラス窓、膝の高さのささやかな花壇。 古臭い手触りの木戸あけると、懐かしい音で鐘が鳴る。 小じんまりとした店構え、煎った豆の匂いと、古色の店内。 その店は、いつもひっそりとそこに或る。 【珈琲屋にて】 午前6時の客。 彼は毎朝測ったように、その時刻にドアを開ける。 頼むものは大体同じだ。ブレックファーストのセットメニュー。それに少しの追加料金を出して、コーヒーをエスプレッソにする。 日替わりのサラダをつまみ、ジャムをパンに塗りながら、最初に一口すすって味を見る。 この男の舌は確かだ。 特に口には出さないが、巧く入った日には小さく笑い、今一つ時にはほんの僅かに眉を寄せる。 その日の気温や湿度によって、微妙にかわるその味の差を、男は繊細に味わい分ける。 朝一番のこの客の、反応如何で店の珈琲が全て作り直されることを男は知らない。 無骨そうな外見からはちょっと意外なことに、皿についたドレッシングをパンの欠片で綺麗にぬぐってから席を立つ。 トレイを返しながら、「ごっそさん。」と子供みたいに笑った。 ダークスーツに、朝日を浴びながら退店する。 駅の方角に向く足は、一端のサラリーマンのように見える。 午後1時の客。 その男は、だいたい昼過ぎの暖かい時間に顔を見せる。 分かりやすいほど新しい物好きな男で、新メニューを見つけると、それが甘かろうが苦かろうがお構いなしにオーダーする。 服も靴もぽんぽん代わる。たまに待ち合わせたり連れ立ってくる、彼女や友人顔ぶれも、同じように代わったが、よくよく見てれば実のところ、飽きっぽいのは彼ではなくて、彼を通りすぎる人々の方のようだった。 彼は長身をもて余すように椅子に座り、明るい話題をふり、飲み食いのペースを相手に合わせ、女の子にはさりげなく勘定を持った。 「何、迷ってんの?甘いもん好きならそっちがオススメ。フレーバー効いてないほうがいーならこっち。 あーそれじゃ、俺これ頼むから一口あげよっか」 一人で来るときには、黙ってもそもそモカをすする、だるそうな顔は微塵も見せない。 長い足を組み、コーヒーに入れたミルクをくるくるかき回しながらよく笑った。 午後3時の客。 この男はいつも穏やかな笑みを浮かべて入ってくる。 カウンター越しにこんにちは、と声をかけ、まずはガラスケースをのぞきこむ。 その日出されているケーキをさっと一通り眺めてから、気に入った一切れと決まってアメリカンを頼んだ。 常連なだけあって、一連の動作を慣れきった家事のようによどみなく行う。 ゆっくりした動きで席に座ると、どことなく礼儀正しい仕草でケーキを一口大に切り分け、口に入れた。 味わうように租借して飲み込む。 それから、もう一度最初から味わい直すためにコーヒーに手をつけ、口直ししてから、同じ動作でケーキを切り分ける。終始この調子で丁寧に食べ終えると、余ったコーヒーまで楽しみ、控えめに、自分の所作に満足気に、ナフキンで口許を拭いた。 トレーを返し際、カウンターが空いていれば、チーズの種類を変えたのかとか、混ぜてあるナッツは何処のものかなど、二言三言言葉を交わしていくが、そのどれもがいつも的を射ていて驚かされる。 午後5時半の客。 彼は一度見れば忘れない客だ。学校帰りや会社を定時で出た人で店が一番忙しくなる時間帯、お喋り目当ての客の中、彼は一人でやってくる。 そこそこの長身、よくみれば手足は長いし顔も整っているが、それより先に、猫背と眼鏡、きちんとしたスーツなのに肩までのびた長髪の、珍妙な組み合わせに目がひかれる。 少し客層の違う雰囲気の中、ためらいもせずにやってきて 「ストロベリーフラペチーノ」 女性客狙いの、甘くて華やかなメニューを、真顔で口にするのだ。 カウンター近くのお嬢さん方が、ちらりとそっちに目をくれて、顔を見合わせ、くすくす笑い出してもまるで構わない。 クリームとストロベリーソースの螺旋模様と、その下のマーブルな層を興味深げに見ながら、スプーンで端から食べていく。 スーツを着込んだ彼の、好奇心旺盛な子供の様なその態度は、どこか罪のない笑いを誘った。 まるで接点のない常連客。 ところが彼らがある祝日、4人揃って顔を見せた。 「レモンフラペチーノ」 「モカ」 メニューに全く目もくれず、5時半の客と1時の客が注文を告げる。 1時の客が、連れより先に注文する所を初めて見た。 「‥天蓬、お前よくそんな甘ったるいもん食うな」 「人の好みにケチつけないで下さい」 「わー、今日ガトーショコラあるんですね。じゃ、これとアメリカンでお願いします」 「あれ何だ新しいのあるじゃん。すいませーん、やっぱモカやめてハニーマキアート1つー」 てんでバラバラな3人にため息を吐きながら、最後に午前6時の男がエスプレッソを頼んだ。 それぞれ自分の注文を片手に席につく。 着いた端から騒々しい。 「あ、天蓬何俺の取ってんだよ」 「ケチですねー悟浄。いーじゃないですか一口くらい」 「じゃそっちくれよ」 「嫌ですよ」 普段と違う態度を示す馴染み客に、マスターが少し驚いている。 「お前ら子供か」 「あ、これ美味しい。悟浄ー、食べてみます?」 「お。くれるならちょーだい」 「はい」 あーん、と続きそうな声音で、3時の客はガトーショコラを一口大に切ってフォークで差し出した。 1時の客がちょっとためらってから食いついく。 「お前らな・・」 言いさしたまま、午前6時の客は天井を仰いだ。 「捲簾、いらないならそれ下さい」 「どーぞ・・」 5時半の客が一気に半分ほどエスプレッソを飲み干す。 それから改めてコーヒーカップの中の覗いて、意外と美味しいですねとつぶやいた。 話を聞くに、午前6時の男が捲簾、午後1時の男が悟浄、3時が八戒で5時半が天蓬というらしい。 長い付き合いであるのに、名前さえ知らなった。 捲簾と天蓬がスーツ以外の服を着るのも、八戒が世話焼きなのも、悟浄が明け透けな態度をとれる友人を持っているのも、初めて知った。 マスターが、私と同じ驚きと、客商売の面白さを改めて知り、小さな笑いを口元に浮かべている。 これだから、この仕事は辞められないのだ。 あぁ、私ですか? これは申し遅れました。 私は彼らが座る、しがない珈琲テーブルでございます。 毎日表を磨き上げ、あなた様のご来訪を、心よりお待ちしております。