天蓬の部屋を掃除した後、古い本をいくらか虫干ししてみた。 部屋の主は興味でも引かれたのか、物珍しげに眺めている。 広げて並べただけだろ。そんなに面白いか? ええ。 眼鏡の奥から、湿気やカビが逃げていくのを静かに見つめたまま、つぶやいた。 ・・・人も、虫干しできたらいいですよねぇ。 【お前の中で蟲を飼う】 「僕、明日からしばらく休み取りますんで。何かありましたら今日のうちにお願いしますね」 天蓬の部屋に行ったら、珍しくきちんと執務机に座った天蓬が書類の山を前にしていた。ちらっとみたら、溜めていた雑務はもうほとんど終わっているらしい。 いまは閑散期だし、休みなんかあってないような天蓬がこの時期にまとめて休むのは別段不自然な話じゃない。 「へー。どっか行くの?」 「あんまり考えてませんけどねー。・・何処でもいいけど陽あたりのいいところがいいなぁ」 「そりゃ随分選択肢の広いことで」 習慣で手近なものを片付けてから俺は帰り、天蓬は休みに入った。 「元帥しばらくいねぇってー」 「え、マジで?いいなー俺も休み取ろっかなー」 部下は大概にしてできた部下達で、あの変人元帥がいなくても、通常業務に大きな支障はでなかった。 戦場での印象が強いせいか、すげぇでかい存在に見えるけど、平時はいないならいないで何とかなる。 それでも、なんとなく拍子ぬけた空気はそこここで見られた。 「元帥今何してんだろーな」 お前は恋する乙女かと言いたくなるようなことをぺろっと言った部下が、周りから散散に突っ込まれていた。 ・・よく考えなくても、俺もプライベートの天蓬を知らない。 仕事に私物や私情を持ち込んでいるのは見たことがあるが、こういった完全な休日に、何を着て何を食って何をしてるのかなんて、正直見当もつかない。 そこまで仲良くねぇし。 俺達から仕事を取ったら、と考えてみて、共通の話題がまるで見つからなかったことに我ながら驚いた。 今は仕事で重なる時間が多いが、部署でも離れたら即刻音信不通になりそうだな。 「で、しばらくっていつまで?」 「20日間くらいってー。」 「マジで?夏休みじゃん、うわー俺も遊びいきてー」 20日間。 夏休み。 そう聞けばひどく長いような気もするが、なんだかんだで時間は過ぎていくし、過ぎてみれば短かったというのが世の常で。 この間、特に何の問題も起こらなかった。 ただ、こっそり非常用連絡網の天蓬専用回線が、転送処理されていたのは知っていた。 変化といえばそれくらい。 想像したとおり、俺は一切天蓬に連絡を取らなかったし、天蓬も連絡をよこさなかった。 しかし、予定の日に天蓬は帰ってこなかった。 ダメ人間ではあるが、元帥としての仕事を放棄する男じゃない。 何処行ったんだ。 ・・・あいつって外に家持ってんのかな。 そんなことすら知らない。ほぼ軍舎で生活する男なだけに、一度ここを離れると、その先はまるで見えなかった。 天蓬が持たされている緊急連絡回線は、繋がるくせに応答がない。ご丁寧にGPSまで解除されていた。 流石に部下たちが血の気の引いた顔をする。 「大将!」 「落ち着け」 「でも!」 「だいじょーぶ。」 大丈夫。 とりあえず、家主の居ない隙をついて、気の済むまで掃除した天蓬の部屋から元帥印を取り出した。天蓬の今日の出勤を見越して、山積みにされた書類にうんざりしながら天蓬の椅子に座る。 金蝉のような判付きの趣味は持ち合わせていないんだが。 「鯉昇ー、お前今日の仕事全部パスしていいから、天蓬の行きそうなとこ探しておいで。」 「御意!」 言うなり飛び出そうとしたのを引き止める。 「そんなに慌てるこたねぇよ。定時連絡入れてな。あと一応、金蝉童子に心当たり聞いてみるのもオススメかも」 慌てんなと言ってんのに、鯉昇は了解の返事を告げるなりやっぱり飛び出していった。 おー。愛されてるね天蓬さん。 「はい、残りは仕事しろー」 「えぇー?」 部下たちは従ったが、いささか不満げな目で見られてしまった。 お前らほんと天蓬大好きだな。 鯉昇は立ち止まらない勢いで、心当たりを片っ端からまわったようだ。 無闇に走り回るだけでなく、使いそうな交通手段から主要ターミナルの記録を調べたり(天蓬はあれでも高官だから記録に残りやすい)、下界ゲートの履歴やその改竄の痕跡の有無まで調べ上げた。 流石はうちの優秀な頭脳派だ。 ところが、その努力にもかかわらず、日が傾く頃になって受けた3回目の連絡でも、俺は鯉昇の情けなさそうな声を聞いた。 「全然手がかりが見つからないんです。何にも引っ掛からない。どうしたらいいですか大将、こんなことって、やっぱり何か元帥に、」 「だから平気だって。たぶん。それから今日はもーいーよ。帰っといで」 「大将、、でもまだ、」 勢い込んで喋る鯉昇の声を受話器越しに聞きながら、タバコを引き出してくわえた。 目の前の、やっと元帥印を押し終えた書類の山を見ながら火を点ける。あー、細かいもの読みすぎて目が痛ぇ。 「いや、おかげで大分絞り込めたし。仕事終わったから俺がちょっと当たってみるわ。明日の朝になっても見つかってなかったら、お前、竜王に報告入れといて。」 受話器を置いて、さてと、と腰を上げた。 GPSは、天蓬自らの手で休みに入った日に解除されてたし、回線に転送をかけたものおそらく天蓬本人だ。 例えば、何かあって俺たちに迷惑をかけないために1人で消えた、と考えることもできる。 だけどそれにしちゃ、やり方が手ぬるい。 本当にそうなら、あいつは絶対にこんな思わせぶりな痕跡を残さない。 「はた迷惑な奴。」 煙草をもみ消した。 うちの部下達もその程度のことには頭が回りそーなのに、こうも過剰に心配するのは相手が天蓬だからかな。あいつに単独暴走癖があったことを、まだ忘れられないのかもしれない。 金蝉が把握してなくて、下界でもなくて、遠くに出た可能性も薄い。となると。 ・・・陽あたりのいいところがいいなぁ。 唐突に、そんな天蓬の声を思い出した。随分あいまいな物言いだが。 「陽あたり・・」 丁度、強い西日が窓から射している。 それを確かめて、部屋を踏み出した。 そこは天蓬の居住区のある、西南棟の一室。 かつては誰かの部屋だったようだが、その人物が退官して以来、客間として使われていた。 しかしそれもまた昔の話でね。鍵が紛失しちゃったらしくて、今じゃすっかり開かずの間ですよ、とこっちに着任したときに教えられた部屋。 このあたりじゃ、一等日当たりがいい。 ポケットからくすねてきたヘアピンを取り出して、鍵穴に突っ込む。ちょっと曲げて角度を調節しただけで、あっさり開いた。 部屋を真っ赤に染める日没寸前の西日に、目が眩んだ。 光に慣れるのを待って、ゆっくり目を凝らす。 「・・・・・なんだ、これ・・」 部屋の中央に天蓬が倒れていた。 眼鏡まで投げ出して伸びきっている。白い頬に移りこんだ陽が、赤すぎて怖い。 それから、部屋の中を、何かが大量に舞っていた。 すごく奇妙な風景。 窓は閉まってる。 風はない。 その部屋の中を、変に透けた紙のようなものが、光を浴びて飛び交っていた。 視界が霞むような量だ。反射する日差で煌めいている。ダイヤモンドダスト・・より、なんか、もっと・・生々しい。 なんとなく脳裏に、昔天蓬が下界で仕入れてきた、裏物のビデオ映像が浮かんだ。 画像処理されていない、実際の人体解剖の場面。メスが開いた腹の中に、整然と並んでいた、きらきら光る内蔵。 強いて言うならあの光に似ている。 なんだこれ。 頬を掠めた紙を目で追ったら、不意に、俺が見えた。戦場を突っ切る、俺の背中。 別の紙には堅い顔をした第一小隊、俺の知らない髭面の男、金髪の綺麗で無愛想な子供。 見れば見るほど、大量の情報が無理やり頭の中に雪崩れ込んできて目眩がする。 目を閉じてどうにか息をついた。 なんだ、これ? そのまま、背後のドアに背を預けて考えてみた。 陽炎のように見えた、いくつもの場面。編集中の映画のように細切れな映像。いくつかは俺にも見覚えがあった。西方軍の顔ぶれ、一緒に降りた戦場の風景。だけど、何か違和感がする。 何か、何だ・・ ・・・今見た中に、天蓬が居ない。 「人も、虫干しできたらいいですよねぇ。」 がばっと背を起こした。 居るはずがねぇ。 この紙は天蓬の中身。天蓬の経験、天蓬の歴史、天蓬の、記憶。 全ては天蓬の視点で見られてきたもの。鏡がないかぎり、天蓬の目に、天蓬の姿が映るはずがない。 頭上から落ちてきた自覚に、背をに一筋の汗が滑った。 俺は、今、天蓬の頭の中を見ている。 「・・・・うわ」 足元から快とも不快ともつかない震えが来た。 たぶん、俺はすごく酷いことをしている。 思考回路の全てなんて、天蓬には服を全部ひん剥いて道端に放り出されるより恥ずかしいものだろう。 きっと、死んでも見られたくないもの。 ありのままの天蓬。 どん、と音を立てて背中がもう一度ドアに着いた。 俺は腕を組んで再びドアに凭れたまま、ゆっくり日が暮れるのを待った。 天蓬がどれほどの年月、どれほどの思いを抱えて生きてきたかなんて知らない。だが、そのすべてを‘干す’にはたかだか二十日じゃ足りなかっただろう。 忙しなく抜き差しされる天蓬の記憶の本棚。そんなに慌てて虫干しして、何を追い出したい。 癇癪虫か泣き虫か。それとも。 日が沈む。 干すべき本は、あと少し。 太陽の最後の残光がつぅっと消えた瞬間、しゅるりと床を這ったモノを靴底で踏ん付けた。 びちびちびち、とそれは切れたばかりのトカゲの尾のようにもがいた。 ぬるりと湿って、闇の中にてらてら光る。 闇に目を凝らして、それが動かなくなったところをつまみ上げると電灯のスイッチを押した。 蛍光灯の下、指先からびくびく痙攣しながら垂れ下がるのは、小さな魚のように見えた。が、よく見ると脚と触覚が生えている。 ・・・・紙魚・・でもなさそうだけど。 天蓬の記憶が本なら、天蓬が追い出したがったのは、知らずに湧き出た見知らぬ蟲のようなものだったのかもしれない。 気づかぬうちにそこにいて、勝手に思考回路を食い荒らし、意識の内を占めていく。 自分の内で生まれたのに、知らずに一人歩きして、もう、二度と思い通りにならない。 お前が俺に抱いた感情のように。 「魚なら生が一番なんだけどな」 口の中に放り込んだ。 ごくりと丸のみしたそれは、苦いようで甘いようで上手く言えないが、通ったの咽喉がひどく熱い。 天蓬は、じきに目を覚ますだろう。 明かりを消して部屋を出た。 なぁ天蓬。いくら干しても無駄なんだよ。奴らは何度でも涌いてくる。 そう嫌がらなくてもいいじゃねぇか。 俺が、飼い殺してやるよ。

―――Fin―       またわけわかんない話。 天蓬が追い出したいのは捲簾に対する嫉妬とか羨望とか恋愛感情だったり。 捲簾が気付いてたり。