やがて看ている捲簾にも陰りの色が現れました。 末期に近い弟と長い間向き合えば、それも無理はありません。精悍な顔に影が差し、時折頭痛をこらえるような苦い顔を見せました。 或る日悟浄が寝付いた間、捲簾が外へ向かうので一体何処に行くのかと、僕は後をつけたのです。 着いた先は変哲もないただの酒場のようでした。 捲簾は一人席の隅へいき、疲れた様子で頼んだ酒をちびちびと舐めて居りました。 僕は生きていた頃も、このような場所へ来ることが殆どなかったものですから、物珍しくなりまして、席の間をふらふらとそぞろ歩いてみたのです。 親しい者は居ませんが見知った顔はちらほらあって、僕が死んでも世の中は斯くも変わりないのかと、少々寂しい心地になると、とたんに僕は興ざめし、もう帰ろうと立ち返り背を向けようとしたのです。 丁度そのときで御座いました。 「空の草を知ってるか」 不意に聞こえたその声が、僕をそこに引き止めました。 振り返るとその声は、捲簾の斜め後ろに座る噂の好きな商人風の太った男でありました。 空の草とは面妖な。 何とはなしに気を引かれ、僕は戻って捲簾の隣の椅子に腰を下ろし、耳をそばだててみたのです。 聞いてみれば、其れは幻の薬草で、万病を治すらしいのです。 しかし随分昔から実の伴わない与太話と相手にされなかったのが、どうやらまことにここ最近、どこぞで見つかったのだとか。 胡散臭い話です。 僕の隣の捲簾はまるで興味もないように、飲み屋の親父を捕まえて腕のいい医者か薬師を知らねぇかと、軽く尋ねておりました。 「そうさな此処らで病と言えば、よく看てくれる薬師がいたが」 「だがよ、空の草にゃぁもう一つ、よくわかんねぇ謳い文句が」 「だけども近頃さっぱりと噂を聞かなくなったさね。未だ居るのかしれないが」 「へぇ、何てぇの?」 「‘紅い花をも枯らす’んだと」 「確か、名を ・・・・・・天蓬とか」 「親父、これもう一本頼めるか」 「ん、あいよ」 僕がびくりと驚いて、親父さんを振り向くと、入れ替わるように捲簾は銚子を片手で受け取って俄かに席を立ちました。 「旦那方、一寸前から随分と面白そうな話をしてるじゃねぇの。俺も混ぜちゃくれねぇか。」 捲簾は気さくな笑みを浮かべ、件の商人共の席へするりと入ってゆきました。 携えていった銚子の酒を遠慮もさせずに振舞って、すぐさま打ち解け話すのを、僕はぼんやり見て居りました。 さて、どれほど経ったでしょう。 賑わう店の喧騒を物思いしつつ眺めていると、やがてあの商人達は酔い潰れ、此方は全く素面のような捲簾だけがすたすたと勘定台へと来たのです。 潰れてしまった商人の後を頼むと言いながら、彼らの分まで払いつつ、帰り際に捲簾は薬師の家を尋ねました。 古ぼけた色の「薬」の字が、かたかた揺れておりました。 そう、其処は懐かしい、僕の家。 しかし僕の記憶より、だいぶ寂れて見えました。 夕暮れになると僕がしまい、朝になると掛け直した店の表の看板も、忘れ去られたかのように黒く汚れておりました。 戸を叩いても返事はなく、引いても鍵がしてあるようで、人の気配もありません。 兄は何処に居るのでしょう。 何時もならばこの時刻、扉の奥の板の間で薬研の音を立てながら、客を待って居りますのに。 諦めずに捲簾は裏の口へと回りこみ、拳を木戸に打ち付けました。 するとこちらの扉には鍵もかかっていないのか、押されたままにぽっかりと口を開いたので御座います。 家主の許可も得ないまま突如開いた入口に、迷った素振りを見せつつも捲簾は敷居を越えました。 「すみません、どなたか家人は居ませんか」 敷居の内は狭い土間で、僕が生きていた時分には朝昼晩と御飯を炊いた炊事場になっておりました。 捲簾に続いて戸をくぐり、其処を視界に収めた僕は、思わず額に手をやりました。 僕の兄は昔から整理整頓のできない人で、両親と死別して以来、家事の一切合財は僕が引き受けておりましたが、僕も居なくなった今、家は荒れ放題で御座いました。 鍋は煤け小皿は汚れ、竈の灰は溢れんばかり。 掃除したい衝動を俄かに覚えましたけど、僕はもう触れることもかないません。兄はどんな生活をして居るのでしょう、このような有様で、ちゃんと食べて居るのでしょうか。 悟浄ばかりを気にかけて、飲み屋でその名を聞くまでは、兄のことを薄情にもさっぱり忘れていた僕は、反動のように不安になっておろおろあたりを見回しました。 すると奥へと続く廊下から、煙が流れてきたのです。 よもや、火事か。 血の気が引いて硬直しました僕の前を黒い風が横切りました。 はっと気がつき目で追うと、瞬く間に捲簾が煙の元へ走るので、慌てて僕も追いました。 行き着いた部屋は表に面す、先程叩いた正面扉の内側の兄の仕事場、調薬室で御座いました。 板の間を埋める数多の書物、湯気を上げる薬草煎器、壁一面の薬味箪笥。 部屋は煙と煎器の湯気で、白く曇っておりました。 その中でも、一際目を引く真っ赤な錦が何かを覆っておりまして、煙はどうもその下から昇ってきているようなのです。 捲簾は散らばる書物や小皿や匙、生薬標本を避けながら、大股に歩を進めると、その錦を取り除けました。 ・・・・・・・・兄、さん・・? 錦の下に横たわっておりましたのは、見紛うことない、僕の、兄でした。 煙の元は、投げ出された腕の先で燻ぶる煙管の火種のようで、傍の焦げた紙切れも捲簾が叩き消してくれました。 どうやら火事ではないようですが、それより僕は死んだように伏した兄が気がかりで、そろりと隣によりまして、顔をのぞきこみました。 兄さん。 硬い本を枕にして乱雑な床に寝る兄は、僕が知るより痩せていて、元より白い人でしたが、更に血の気が失せて見えました。 布団代わりにしていたらしい錦を剥がれてみても未だ、目を開けない熟睡ぶりを訝しがったのか捲簾も、兄の横にしゃがみこみ、その手を頬へ伸ばしました。 ところが丁度ぺちぺちと軽い音が鳴るその前に、薄い目蓋が危なげに揺れて睫毛を持ち上げたのです。 兄は寝起きの眼でぼんやりと虚空を見ていましたが、やにわにむくりと起き上がり、がりがり頭を掻きました。 「・・・・・あれ。僕、寝てました?」 間の抜けた兄の問いかけにこれはさしもの捲簾も面食らっておりましたが、兄は人の気も知らず、暢気に欠伸をこぼしました。 僕は兄が相変わらず昼夜も知らない生活を送る様子にあきれたものの、確かな安堵に我知らず頬を緩めたので御座います。 寝惚けているのか気だるげにあたりに散乱した本を漁り始めてから兄は、今更思いついたかのようにどちら様かと尋ねました。 無断で入った非礼を詫びて、捲簾はさらりと名乗りました。 「で、あんたがここの薬師?」 「えぇ、天蓬と申します。此の度はご迷惑とお手数をおかけしまして」 兄はそういいながらも立ち上がり、しゅんしゅん湯気を振りまく煎器に寄ってようやくその火を消しました。 「じゃあ、あんたが、‘空の草’か」 此方に向いた兄の背が放つ空気を変えました。 煎器にかけた薬草を引き上げてから振り向いた兄は先刻と打って変り、怜悧な眼をしておりました。 「紅い花を、枯らすというのは本当か」 其れは白く立ち込めた蒸気と煙を突き通す強い視線でありましたが、動じもせずに捲簾は静かに兄に問うたのです。 兄はしばらく捲簾を見定めているようでしたが、やがて溜息を一つ吐き、捲簾の前に腰を据え、ただ一言で答えました。 詳しくお聞かせ願います、と。 僕は訳がわからずにいささか呆けておりました。 其れでも如何にか目の前の事実と言葉を推し量り、‘空の草’が兄の名を‘天の蓬’と読み替えた符丁であるということを、飲み込んだので御座います。 しかれども、解せないこともありました。 僕が言うのもなんですが、兄はなかなか腕のいい優れた薬師でしたから、万病に効く幻の、そんな噂にされたなら、悪い気分は致しません。 ・・ですが如何して回りくどく空の草と呼ばれたのか。兄は堅気の薬師です。 一体、何を、憚ることが。 あぁ、いや、いいえ。それより、そんなことより、気になるのは。 ‘紅い花を枯らす’と、言うのは。 まさか。 えぇ、でも、僕は。薄々気づいていたのかも知れません。 捲簾が兄を訪ねてきたそのときから。 「診ましょうか」 兄は静かにそう言って、重たげな腰を上げました。 薬箱を取り出すと、小さな取っ手を引きあけていくらか薬を足しまして、着替えるので少々お待ちを、と言い置くと奥の襖へと消えました。 取り残された捲簾は暫し閉じたその襖をじっと見つめておりました。 霧のように立ち込めた湯気と煙は未だ晴れず、薄暗さも相俟って、部屋はどうにも怪しげな空気をまとっておりました。 此処を見知った僕にさえ、そう見えたので御座います。 ましてや初めて訪れた捲簾には事の他、薄気味悪くも映ったでしょう。 しかしながら落ち着き払った捲簾は、ちらりと辺りに視線を流し、散らかり放題の床の上、今も自分の膝に当たる本や雑貨を控えめに並べなおしておりました。 僕といえば反対に一度に起こった出来事に平静を失しておりました。 懐かしき我が家。 小火騒ぎ。 兄の不可解な異名。 ・・・・・診る。 診ましょうか、と兄は間違いなく言いました。 それは無論、悟浄のことで御座いましょう。 悟浄は、あぁそういえば今どうしているでしょう、悟浄は、えぇ、末期の阿片中毒です。 僕と、同じ。 それを放っては置けないと、兄の考えそうなことですが、でも、もう、手遅れです。 ‘紅い花を枯らす’それが阿片を治療できるの意だとしても。 兄は僕を救えなかった。 悟浄も。遅かれ早かれ悟浄も死にます。 僕の墓前に立ち尽くし、あれだけ悼んでくれた兄のこと、また悲嘆にくれるでしょう。 悟浄が死ねば僕と二人、やっと幸せになれることを、伝える術はないのだから。 「う゛・・ぁ、あ!・・・っは、あ゛、」 着いたなり奥から聞こえたその声に、捲簾はわらじを脱ぎ捨てて、すたん、と奥の障子を開けました。 悟浄! 悟浄は額や項から、苦しげな汗を滲ませて呻きもがいていましたが、最早暴れる体力もろくに残っていないのか、動くことすらままならず、ただ身を捩っておりました。 捲簾が押さえつけようとするところへ、遅れて入ってきた兄が、静かにそれを押しのけました。 兄は悟浄を一目見て一瞬息を呑みましたが、すぐに膝を着きつぼを押さえ針を打って鎮めました。 それから瞳孔、舌や脈、一通り診ると徐に、二・三の薬を取り出しました。 手早く混ぜて口を開かせ、それを舌に乗せますと、程なくして久方に正気の光を持った目がとろりと此方を向いたのです。 上から自分を覗き込む捲簾と薬師の並んだ顔を悟浄はぼんやり眺めておりましたが、やがて夢でも見ているような掠れた声で呟きました。 「・・・・・八戒・・?・・」 えぇ、確かに、僕の名を。 悟浄、悟浄、わかりますか。居ますよ、僕は此処に居、 「残念ながら」 僕とよく似た異なる声が、静かにそれに応じました。 「残念ながら、僕は八戒ではありません。僕がわかりますか、悟浄」 暫くの時を置いてから、悟浄は滲むような声色で兄の名前を呼びました。 ほんの僅かに気配を変えて存在を主張した捲簾に、兄は何かを押し込めた平坦な声でいいました。 「八戒は、僕の、弟です」 ・・・以前は。 こんな事を言わなくとも、僕と兄を一目見れば誰もがそれと知ったのですが。僕は今もう亡き人で、兄は兄でよく見ればいくらか様変わりしたようだと、僕は遠い思考の端で妙に感慨を抱きました。 「あんたに、悟浄が治せるか」 弟を阿片で亡くした薬師。 しかしその事実を前にして、捲簾は批判するでもなく、ただ、尋ねました。 治すも何も阿片から逃れる術など御座いません。いくら兄であろうとも、治す術などないのです。 未だ諦めぬ捲簾を、僕が苦く思った時、 「八戒は、間に合いませんでした。悟浄は、間に合います」 ・・・・間に合わなかった? 捲簾は見透かすように兄の目をじっと見つめておりましたが、兄がまんじりともせずにそれを受けておりますと、やがて頭を下げました。 「弟を、頼む」 兄はそれに頷いて、一度視線を下げますと、それから再び目を合わせ、明確な声でいいました。 信用をして下さるなら、悟浄と僕、二人にさせて貰えませんか。 兄の奇妙な申し出に、捲簾は瞬きを一つ返しました。 「鶴の話はご存知でしょう。悟浄は確かに治します。けれど、その手法に関しては、知られぬ方がいいのです」 「・・鶴に、恩を売った覚えはないが」 兄は眉を寄せて笑いました。 「其処は薬師の天命です。・・弟への罪滅ぼしと見てくださっても構いません」 捲簾は黙って席を立ちました。 悟浄は頭上で交わされた話を解しておらぬのか、再び正気を忘れたように終始ぼやりと融けた目で空を仰いで居りました。 僕は何やら戸惑って、得体の知れぬ不安を覚え立ち上がっては座りなおし、一人おろおろするばかり。 しかしすぐに捲簾の足音も離れてゆきました。 しん、と落ちる僅かな沈黙。 ふと、今更ながらに感じる、他人の家に取り残された違和感。 自分の家と同じ畳、障子、柱。だけどそのささいな配置のずれが出す、決定的な違い。 それを認めた瞬間、兄は俄かに袖をまくり、懐から小刀を取り出したので御座います。 兄さん!? ・・おかしな話で御座いましょう?僕は確かに早いとこ悟浄を楽にしてくれと望んでいたはずでしたのに。 兄の刀を見たとたん、思わず慌てたりなどして。 ですが止める間もないままに、兄は鞘を払って切りつけました。 自らの、腕を。 呆気に取られる僕をよそに、兄はいたって冷静に荷物の中から小皿を出し、滴るその血を受けました。 その赤が、なんとも不思議な赤でして。 ええ、そう、赤いのですけれども、・・上手く口では申せません、しかし、何か変わった赤でした。 僕はそれに気を取られている間に、兄はさっさと血止めをし、何事もなかったかのように捲くった袖をお下ろしました。 そして悟浄を抱き起こし、薄く開いた唇に小皿の縁をあてたのです。 何を。 僕の呟きは届いておらず、悟浄は全てをされるがままに、流し込まれた兄の血をこくりと嚥下したのです。 余りにも常軌を逸した展開に僕は目眩を覚えました。 一体、僕の目の前で、何が起こっているんです? 兄にその背を抱えられ、ようやく布団に身を起こす弱りきった悟浄の顔に一抹の生気の色が戻ったのは。 何故。 こんな事が。 兄さん。兄さん、何をしたのです。 「これから暫く、通います」 帰り際、兄は淡々とした声でそう捲簾に告げました。 「あぁ、よろしくお願いする ・・・・・御代は?」 「貴方、鍛冶師なんですか」 仕事をしていた手を休め立ち上がった捲簾に、兄はつかつか歩み寄り、傍に在った包丁を手に取りその刃を指先でつ、と一度なぞりました。 「あぁ・・貴方、いい腕してますねぇ。それでは、小刀を一本。それと、大振りの出刃包丁を二本。」 それで如何でしょう? 「・・いいのか。」 あれを治すには、それだけで、いいのか。 捲簾が、口にしたのはそれだけでした。 治療内容も、その報酬の目的も、用途も。尋ねることは、御座いませんでした。 兄は毎日、昼過ぎから時には日暮れ寸前の特に定まらない時間、ふらりと戸口に現れて、悟浄を診ると少量の血を飲ませてから二言三言捲簾と言葉を交わして帰りました。 出刃包丁は後でもいいが小刀の方は早めにと兄が申しましたので、三日目の帰りに捲簾ができたものを手渡すと四日目からは血を採るのにそれを使いだしました。 日めくり月は満ち欠けて、塵も積もれば山となる。 秋の日は釣瓶落としと言います様に、すぐに夜は長くなり、僕がただ手を拱いている間にも、季節は早くも移ろいで、悟浄の中毒症状は徐々に回復を見せました。 何たる時の無情さでしょう。僕があせればあせるほど、過ぎ行くのは早いもの。 日課となった兄の治療。 未だ顔色は悪くとも、暴れもうなされもせずに眠る悟浄の穏やかな呼吸。 その規則正しい鼓動。 気がつけばそこは真冬の闇。凍てつく座敷、火鉢の熾きが崩れる音と、悟浄の寝顔に差し掛かる障子越しの薄明かり。 その向こうでは捲簾が、兄の帰りを引き止めて食事を共にし酒を注ぎ、まず一命を取り留めた悟浄を祝してささやかに杯を交わしておりました。 えぇ。微かに 万事悪い方向へ、事は転がり始めたのです。 微かに ちらつく六花に目を伏せて僕は物思いに耽りました。 悟浄が。 悟浄が生き永らえるなんて。 その可能性は、ありもしない僕の幻覚の体温をさらに冷たく致しました。 嗚呼、なんて恐ろしい。 僕は如何なるというのです。 このまま悟浄が完治して、傷跡とともに記憶が薄れ、僕を忘れ、見知らぬ誰かと一緒になる、それを一人見ていろとでもいうのでしょうか。 互いを想って身を滅ぼす、それほどの仲でありましたのに。 カサリ、と。今年最後の紅葉が雪に混じって舞いました。 ・・・・許しません、そんな事。 悟浄には死んでもらわねば。 これは、どうしたことでしょう。 もうとっくに、四十九日は過ぎましたのに。 僕は未だにここに居て、このような欲にまみれているのです。 ええ、でも、其の時は、当の僕もそのことを、気にもかけては居ませんでした。 僕は片時も離れずに、悟浄の枕元へ座し、只管時を待ちました。 僕は死人でしたから。 兄が手元を誤ってあの小刀で殺したり、家が悟浄を抱いたまま火事になるのを祈ったり、それだけでは始まりません。 首を絞めても手をすり抜け、口をこの手で塞いでも息ができてしまうなら、此処は一つ死人らしく、夢枕に立とうかと考えたので御座います。 この時分には悟浄は既に、背を起こして粥を食べ、自ら皿を傾けて薬を飲むまでになりましたから、僕にできる方法はこれより他になかったので御座います。 ああ、神様仏様。どうか、悟浄にあわせて。 どうか、僕の言葉を。 如何にして其処にたどり着いたかは僕も定かではありません。 しかし如何してそんなこと語る必要が御座いましょう? 其処に至る過程など、たいしたことではないのです。それは取るに足らぬこと。 全ては悟浄を前にした、あの喜びに比べれば。 驚きと喜び、訝しさと嬉しさ。 入り混じった感情を抑えきれずに僕を見た紅い眼の美しさを、僕は未だに覚えています。 僅かに此方に踏み出した悟浄の顔を一目見て、僕は駆け寄り飛びつきました。 悟浄、悟浄、悟浄。 感動の対面などという、ありふれた筋の三文小説、あれをひやかし半分に読んでいたのは僕でしたのに。 赤い髪の手触り、煙管の臭い、僕より僅かに高い肩。子供のような悟浄の体温。 それらを前にしただけで、ただただ悟浄に縋りつき阿呆のように泣くことしか僕にはできませんでした。 「・・・・・八、戒・・?」 悟浄は暫くの間、黙って大きな掌で僕の背中をよしよしとあやしてくれて居ましたが、やがて落ち着いたと見るとゆっくり僕を引き離しまじまじ顔を合わせました。 「・・え、八戒?」 「ええ、そうです、僕ですよ悟浄。まさか、忘れたわけじゃないでしょう?」 泣き笑いの僕を見て、悟浄は幾度か忙しなく瞬きをしていましたが、やがてからりと言いました。 「・・・・・俺、死んだ?」 「いいえ?未だです、残念ながら」 此処はあなたの夢の中。僕は今、貴方の夢枕に立っているのです。 ねぇ悟浄。 貴方が驚くのも無理はない、だけど、お願い、よく聞いて。 僕は、貴方が好きでした。


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