【今はもう遠い音】  ――第二話――




天蓬は、その事実に今まで気がつかなかった自分の鈍感さに呆然とした。
すると、捲簾はまた何やら書き始め、天蓬の前に苛立たしげにそれを掲げた。書道家の息子の字は、流れるような草書体ではなく、きっちりとした楷書体であった。
『割りたきゃ割れよ。そんなことしても俺はもう筆を持ったりしねぇよ』
 ・・・なんの話だ。
急な展開に倒れた意識を無理矢理起こして意味を図ろうとするが、今ひとつ要領を得ない。
困惑気味に捲簾の顔を見ると、少しずつ捲簾の顔の硬さが取れていく。
すると目の前の男は今度はやや慌てて、親父に頼まれたんじゃないのか?と書いて天蓬に見せた。
「違います。僕はただ、その・・・まぁ、色々な意味で陶芸に興味があったので」
 途端、捲簾の顔にばつの悪そうな表情が浮かぶ。
 何がなんだかわからないでいる天蓬はやや混乱気味に様子を窺っていたが、捲簾がまた何かを書き出したので大人しくそれを待つことにした。
 
そして、とりあえず目の前に出された文面は、悪かった、の四文字だった。




 傘を借りて帰り、珍しく孫を待っていた総一と天蓬は遅めの夕食を取った。
「――総一さん、ここの息子さんが口を利けないことをご存知ですか」
「・・・言っとらんかったか?」
天蓬は思わず、このジジイと胸の底で毒づいた。
最初に与えられた情報だけで接近を図っていた自分も確かに悪いが、そういう大事なことはもう少し早く教えておいてくれても罰は当たるまい。
しかし今さら悪態をついても何の意味があろうか。天蓬は里芋の煮物を咀嚼して飲み込むと、言ってませんよとだけ言って食事を続けた。

あの後、捲簾の態度は急変した。
どうやら彼は天蓬を父親の手先か何かだと勘違いしていたようで、事実が分かった後は今までの非礼に深々と頭を下げた。
聞けば捲簾の父親は、息子を書の道に戻そうと躍起になって今まで散々手を尽くして来たと言う。説得に始まったそれは最後には人を差し向けるまでになり、器を大量に壊されたこともあったようだ。
それであの態度かと納得すると同時に、どんな親子関係だと僅かに眉を顰めた。

「口が利けんわ、未成年だわ、おまけに器に目をつけた業者も父親が追い返すわ、なかなか苦労しとるらしいな」
 総一は山菜の和え物を口に運びながらそう言ったが、同情の色はどこにも見られない。
「まぁ、そのおかげで希少価値がついてええがの」
 正直も度が過ぎると問題だなと思いながら、ふと視線を感じて顔を上げると、祖父が真剣な表情でこちらを見ていた。
「それで、器の方はどうなっとる。手に入りそうか」
「・・・今日、あの器を見ましたよ」
「あれか!あれならいくらでも払う。早めに話をつけてこい」
 喜色を浮かべ目を輝かせる総一に対して、天蓬の返事は曖昧だった。
 確かに自分は捲簾の父親の手先ではない、だが、総一の手先には違いない。
 天蓬が箸を置いて開け放した障子の間から庭を見ると、急に外の雨音が大きくなった。




 翌日、昨日の雨が嘘のようにからりと晴れた。が、あまりの日差しの強さに天蓬は逆に憂鬱になった。
捲簾の家に着き、いつものように戸を叩こうとしたがなんとなくその手を止め、家の裏の方へ足を運ぶ。
裏庭へ回ると積み上げられた薪がまず目に付き、そしてその少し奥には古ぼけた小屋があった。突き出た煙突から見てどうやら窯のようだが、今は火を入れていないのかその管から煙は出ていない。
ということはやはり中かと確認すると、裏口の戸ががたりと音を立てて開いた。
「・・・どうも」
 そう声をかけると、一瞬捲簾は驚いた顔をしたがすぐに天蓬に笑顔を見せた。
 昨日まで仏頂面をされていた相手にいきなり笑顔を向けられると、何かむず痒い。
そんなことを思っていると、捲簾がさっさと中に入っていく。どうしたのだろうと思って待っていると、昨日のノートを持ってきて、いい天気だなと書いたので、なんだか息が詰まった。
・・・喋れないのは不便なものだ。
手話が話せば少しは楽なのだろうが、捲簾ができても自分が知らなければ意味がない。
「提案なんですが」
 そう呟いた途端、捲簾の顔がさっとこっちを向く。意図的に目を逸らさなければ、真っ直ぐに人を見る男だった
「普通に喋ってください。僕も聞き取る努力をしますので」
すると捲簾は苦笑し、面倒くさいだろ?と書いて見せた。
「・・・相互理解には相互努力が必要です」
 自分でも陳腐な台詞だと思ったが、少しでも早く親密になるためにはそれしか思いつかなかった。
すると捲簾は驚いたように天蓬を見つめ、やがてゆっくりと唇を動かした。
『名前、何?』
「・・・天蓬、と言います」

 音の足りない会話だった。それでも会話ではあった。
 捲簾は天蓬の顔をもう一度静かに見つめ、そして小さく笑って、

ありがとう、と唇を動かした。




 それから天蓬は捲簾の家でほとんど日中を過ごした。
 捲簾はあれ以来戸の鍵をかけなかった。作業を中断できないこともあるので、来たら勝手に入って適当にやっててくれと言う。それを少々無用心ではないかと言えば、田舎なんてそんなもんだと逆に諭されてしまった。
 そうこうしている内に持ってきた本はとうとう底を着いたが、それでも不思議と退屈はせず、陶芸に関する書物を借りて読み、また時には捲簾の作業を黙って見て過ごした。
 見た目はただの泥の塊が手の動きによって緩やかに形を変えていく。成形して数日経った器の底の部分、高台をろくろで削り出していく様は、硬いものを削る工程にはない律動と伸びやかさがあった。
そうして形を整えた後は乾燥に二週間ほどかけるらしい。急な乾燥は傷のもとになるらしくあくまで自然に乾かすが、その間も暇という訳ではなく、薪割り、釉薬作り、家の仕事や作物の面倒、そして何より乾かし終わった物の素焼き、本焼きが待っていた。
『明日から本焼きだから、来てもつまらねぇぞ』
 休憩中、捲簾は思い出したかのようにそう言った。
素焼きは七百度ぐらいで約一日、今度は本焼きだから千二百五十度ぐらいで大体二日。先日の素焼きの際に教えられたことを思い返し、軽く頷いてから天蓬は、つまらなくてもいいなら来てもいいんですかと捲簾に聞き返した。
半分しか聞こえない会話は日常に成りつつあった。
最初は大分時間もかかり間違いも多かったが、そのうち段々と唇の動きが掴めるようになり、今では捲簾も、長い文は流石にノートに書くが短い言葉はほとんど書かずに唇だけで言葉を紡いだ。

 天蓬が尋ねて来ると、捲簾はいつも嬉しそうに笑う。
 元から人懐っこい性格なのかもしれないが、自分に向ける目には素直な好意がはっきりと読み取れた。
 しかしそうであればあるほど、天蓬の喉に何かが刺さる。
 
そうやって距離が縮まれば縮まるほど、言葉が重くなっていく。


「まだ器は手に入らんか」
「・・・まだお休みになっていなかったんですか」
すると祖父は、そんなに早く寝れるか、年寄りじゃあるまいしとあからさまに顔を顰めた。七十八歳が年寄りでなかったら世界は若者だらけだろうと思ったが、当然それは口にしない。わざわざ天蓬の部屋で帰りを待っていた祖父は渋い顔を続けたまま、孫を不機嫌そうに見やった。
「何か問題でもあるのか、金ならいくらでも出すと言ったはずだ」
「――二、三日窯焚きに忙しいようです、今はとてもそれどころでは」
 そう言うと不満そうではあるものの一応納得したらしく、祖父は重い腰を上げたが、部屋を出る際、なるべく早くなと釘を刺すことは忘れなかった。
 天蓬は襖を閉めた後、壁に寄りかかって額に手を置くと、深く深く溜め息をついた。

もし器を売ってくれと言ったら、捲簾はどんな顔をするだろう。
そのためだけに自分に近づいたと知ったら、あの人は自分をどう思う。

 親しくなればなるほど言えなくなる。
 あの柔らかい表情が、また最初の頑ななものに戻るのかと思うと、言葉が止まる。
「――・・・嫌われたくないのか」
誰もいない部屋でそう呟いてみて、呆然とした。
何を馬鹿なと否定しながらも、自分の行動の原因は寸文の狂いもなく枠に当てはまった。
わからなかった。
なぜ自分がこんなにも今の状態を壊したくないと思っているのか、天蓬にはよくわからなかった。


 翌日は結局、迷いながらも結局捲簾の所へ行かなかった。
 朝、祖父は何か言いたそうにこちらを見ていたが、本焼きの邪魔をして疎まれたら上手くいくものもいかなくなりますよと言うと、諦めたように眼前のパソコンに集中し始めた。
 日差しの強さは白く鋭かったが、もともと避暑地であるため気温はそう高くない。おまけに古い家とはいえ、祖父の部屋にも自分の部屋にもちゃんと冷房を入れることができた。しかし部屋から出て縁側に行くと、緑の匂いが混じったむっとした空気が身体を包み、オニヤンマが細かに羽を震わせ、上下に飛びながら庭を横断していくのが見えた。

 そこで天蓬はふと違和感を感じた。日の当たらない壁際まで行くと、そこで立ち止まったままそれが何なのかしばらく考え込んでいた。
 そこへ女中の一人が通りかかり、天蓬に会釈して「今日は涼しいですねぇ」と穏やかに笑って去って行く。天蓬はそれに軽く応じながら、あぁそうかと胸の中で呟いた。
 ――この家が暑いのではなく、捲簾の家が涼しいのか。
 そう気付くと急にあの山際の家が気になり始めた。目線が自然と家の方向を向くが、塀に囲まれた家からでは当然見ることなどできはしない。
それなのにいつまでも遠くを見つめていた自分に、天蓬は小さく苛立ちを感じた。
そして溜め息を一つつくと明日は会いに行こうかと小さく頷き、庭の向日葵に背を向け自室に入って行った。
 



次の日、天蓬は裏庭の小屋の中で彼の姿を見つけたが、ほとんど寝ていないのか、捲簾は声をかけるのも躊躇われるほど憔悴していた。
今日も天蓬の姿を認めた捲簾は笑みを零したが、その視線はどこまでもぼんやりとしていて。
「・・・あの、何か手伝えることありませんか」
 目の前の男の疲労と寝不足に塗れた様子に思わずそう呟くと、捲簾はよろよろとノートにやや乱れた字で天蓬に言葉を伝えた。
『薪、足し続けて。消えないように』
そうしてふらふらと小屋の壁にもたれると、数分もしないうちに寝息をたて始めた。
その様子に天蓬はしばらく呆気に取られていたが、釜の中でガラリと薪が崩れる音に慌てて窯の中に次の薪を放り込む。ほっと息をついて横を向くと、捲簾はそんな音に一向に起きる様子もなく、死んだように深い眠りについていた。

 幼い印象を受ける寝顔に目を細める。そう言えば年下だったと今さら思い返すのがなんだかおかしかった。



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