【今はもう遠い音】  ――第三話――




『悪かったな、手伝いを頼んでた吉崎のじいちゃんが、横浜の孫が来たから手伝えないって言われて参ってたんだよ』
半日寝ていた捲簾はすっきりした顔をして右手でそう書くと、もう片方の手で薪を数本くべた。
高温になると急激な速度で薪は燃え尽きる。ほんの十分居眠りしただけでも、酸素ばかりが焚き口から入ってしまい、今まで化学反応を起こしていたものが全部駄目になるらしい。
外はすっかり日が落ちていた。山間の夏の夜は涼しいというよりは肌寒かったが、小屋の中では熱気と薪が燃える匂いで満ちていた。捲簾は薪を入れながら横目で外の様子を窺うと、やがて天蓬の方に向き直った。
『帰らないでいいのか』
「誰かがいた方がいいでしょう」
『俺なら昼間寝たから大丈夫』
「・・・正直に言えば、帰りたくないんです」
 帰ればまた総一の愚痴が待っている。それを思うと憂鬱でたまらず、思わず天蓬は溜め息をつく。
 しかしその言葉を聞いた瞬間、捲簾の手から薪が零れ落ちた。
 どうしたかと思えば視線がじっとこちらに向いていて、不思議そうに何です?と聞くと少し困ったように、なんでもないと言ってまた捲簾は薪をくべ始めた。
炎に照らされた顔は言うまでもなく赤かった。




本焼きが終った後は、少しばかりの穏やかな時間が流れる。
窯のものはすぐ出さず五日間ほどかけてゆっくりと冷ましていく。しかし、その時間をどう使うのは本人次第で、捲簾は休息もおざなりに、すぐに他の染付けのための釉薬を作り始めた。
釉薬は釉薬を混ぜ合わせてさらに釉薬を作る。染付けは素焼きの後にするのが普通だが、定着力が弱い呉須などの顔料は素焼き前に色をつけるらしい。作業台の上にはすでに練りを済ませた土が乗っており、昨日の今日で、もう次の準備を黙々と続ける捲簾を天蓬は半ば呆れ気味に見つめていた。
 その視線に気付いたのか捲簾はこちらを向くと、何を勘違いしたのか、作業台の土を指してやってみるか?と唇を動かしたが、それに天蓬は無愛想に首を横に振る。
「遠慮しときます、自慢じゃないですが僕は手先が器用でないので」
 しかし捲簾はそれなら教えてやるよと楽しそうに土の準備をすると、ろくろの前の椅子に半ば強引に天蓬を座らせた。そして天蓬の手に自分の手を重ねると静かにろくろを回し始めた。

 いきなり始まった事態に天蓬は少々困惑した。
 手の中を滑る土の冷たさのせいで重ねられた掌の温度やけにはっきりと伝わってくる。指の間を濡れた土がぺたぺたとくすぐり、後ろから包み込むように重なった身体に奇妙な居心地の悪さを感じる。
しかし捲簾の目は形を成していく土の器をじっと見つめていて、その瞳は冷静そのもので天蓬は何も言えなくなる。仕方なく意識を別の方に向けようと努めるが、こういうシーン、映画であったなとふと思いつくと思わず顔を顰めてしまった。

それにしても、やはり捲簾の家は涼しかった。そして、おかしな言い方ではあるが、静か過ぎた。
一人暮らしの家が騒がしかったらそれこそ異常だろうと思うのだが、まるで生き物の匂いがしない家は正常とも言い難かった。
 しかしそれを告げても捲簾は不快な思いしかしないだろうと思い直すと、少し高い位置にあるだろう真剣な表情を思い浮かべた。
天蓬は捲簾を思い出すときは、まず人好きのする笑顔とその後に比較するような形で最初の無愛想な表情を思い出した。しかし、実際に天蓬が触れたのは陶芸をしている時の彼が一番多い。
 焼きに入った時の憔悴した表情は別として、真剣さゆえだろうか、思い出すその顔にはほとんど表情がなかった。
 そういうものかもしれないとも思う、目の前のものに集中している時の顔なんて。
しかし天蓬はわずかにその表情が気になった、なぜならその時の黙々と作業を進める捲簾の様子は、
まるで、自分に罰を与えているようで。

馬鹿馬鹿しいと天蓬は軽く目をつぶる。
自分にやましい所があるからそういう風に思えるのだと、妙に苛ついた気持ちが込み上げてくる。その感情が指にこもったのか、整ったフォルムを保っていた器がひしゃげて奇妙な姿に形を変えた。
しまったと思って捲簾の方を振り向くと、謝罪の言葉を吐くよりもその顔の近さの方に驚き、思わず身体が強張った。
『集中しろ』
 手に加えられた更なる力と至近距離にある唇がゆっくりと言葉を紡ぐのを見て、天蓬は胸の中で一言呟いた。
 
できるか。




『焼く前に乾燥させるんだよ』
 二週間ぐらいと、天蓬がその日帰る直前に付け加えて捲簾は明るく笑ったが、その表情が次の日には曇るなどと誰が思うだろう。
翌朝、いつも通り顔を出した天蓬は、いきなり『悪い』と頭を下げられ訳がわからなかった。そして思い当たって乾燥部屋に行ってみると、昨日自分の手の中で形をなしたそれは粉々になって沈黙していた。
『土に砂利が混ざってたとも思えねぇし、急に空気が乾燥したとも思えねぇから俺の土練りが悪かったんだと思う』
 なんにしてもすまねぇと捲簾は再び頭を下げたが、正直に言えば残念だとは思いつつも、あまり気にしてはいなかった。むしろ落ち込む捲簾を慰める方がよっぽど骨が折れた。
 ただし、その崩れた残骸を見て少しだけ気になった。

 あそこまで、粉々に割れるものだろうかと。


「若兄ちゃーん」
 その疑問を掻き消すように、高い声が玄関から聞こえてくる。捲簾は顔を上げるとさっさと玄関に向かい、天蓬もそれを追った。
 戸口に立っていた日焼けをした少年は捲簾の姿を認めると「茶わん、くださーい」と顔全体で笑う。
 捲簾もつられるように笑いながら、土間に積んであった箱を何個か開ける。天蓬はその様子を見ながら、あの箱は売り物だったのかと今さら納得していたが、小さな視線に気付いて目線を落とすと少年がじっとこちらを見つめていた。
「・・・兄ちゃん?は、若兄ちゃんの友達?見かけん顔じゃが」
 最初の疑問符が気にかかりつつも、まぁそんなところですと答えると、少年はまたじろじろと天蓬を見つめ、合点がいったようにびしりとこちらを指差した。
「東京もんけ?きれーな顔しとるけんそうじゃろ?」
 この子の認識はどうなってるんだと思いながらも一応頷くと、少年はやっぱりなと満足そうに笑う。その堂々とした様に、天蓬はこちらからも質問していいだろうかと口を開いた。
「あの、なんで「若兄ちゃん」なんです?」
「あー、ばぁちゃんが兄ちゃんのこと嵯峨野さんとこの若さまって呼ぶから」
 若様。その響きが耳に障った。
ここでの捲簾の扱いを垣間見た気がして、僅かに胸が重くなる。
子供は何もわからなくても周りの大人はそうではない、そして彼もいつかは、その意味を知って、大人になる。
――ここにいる限り、捲簾はずっとずっとこのままか。

 ふと気付くと、急に黙り込んだ天蓬を少年は不思議そうに見ていた。慌ててすいませんと言うと少年はますます首を傾げたが、捲簾が手招きするのを見ると目を輝かせて走り寄って行った。
「妹の茶碗割っちゃったんじゃ。そしたらあいつ泣いちゃって」
 捲簾に話しかける口調に迷いはない。相手が口が利けないことなどおくびも気にしない子供らしい無遠慮さに、捲簾は柔らかくいちいち頷いていて、天蓬はその様子を後ろから眺めて小さく苦笑した。
「これ、きれー」
 そう歓声を上げて少年が捲簾に見せたのは、赤い染付けがされた小さな茶碗だった。
 やや控えめに花唐草が施されたそれは小さな少女に似合いそうではあった。が、緋色高台といい染付けのきめ細かさといい、少年の買えそうな範疇のものではないことは天蓬にも一目でわかった。しかし少年は明るく、これで買える?と捲簾に手のひらを開けて見せた。
そこにあったのは百円玉硬貨三枚。しかし目の前の男はあっさり頷くと新聞紙で包んだ茶碗と引き換えにそれを受け取る。呆気に取られている天蓬を他所に少年はありがとーと言うと、嬉しそうに帰り道を軽い足取りで走って行った。
 そして捲簾はその後姿が見えなくなると、降ろした箱をまた積み上げ始める。天蓬はその背中を見つめ、この男らしいなとは思いつつもなぜか自分が苛立っているのを感じた。
「・・・あんなじゃ成り立たないでしょう」
 まぁなと唇を動かす捲簾に、握り締めた拳に僅かに力が入った。
「貴方の腕なら、ここから出ればもっときちんと稼げるチャンスなんて山ほどありますよ」
 捲簾は急に真剣みを帯びた声に少し驚いたようだったが、そんなに甘くねぇよと笑ってあくまで自然に、目を逸らした。

「・・・帰ります」
 悔しかった。
彼の行為自体を間違いだと思っているわけではない、自分があの状況だったなら同じようにしたかもしれない。
それでも、悔しくて悔しくてしょうがなかった。

ここにいる限り、あの人と父親のつながりは切れない。
こだわるほどこの場所が、彼にとって居心地の良い場所だなんて思えない。
正当な評価を、もっと広い世界を、あの人は知ることができない。

 わかっている、あの人にはあの人の意思があると、余計なお世話だと。
それでも、納得などできなかった。

 自分の言葉を、聞いて欲しかった。




「捲簾様はお元気ですか」
 あれから二日、捲簾のところに行かず本家でぼんやりしていると、女中の一人から声をかけられた。どうやら古株らしい彼女は、捲簾のことをよく知っているようで自然と口調にも親しみが漂っていた。
「・・・高そうな茶碗を子供に捨て値で売るほどには元気でしたよ。あんなんでやっていけるんですか、あの人?」
「あらら、捲簾様らしいわぁ。でも奥様の遺産もありますし大丈夫でしょう」
「・・・遺産?」
「生命保険もかなりの額が入りましたし、相続税のことを考えてもよっぽどの贅沢をしなければ、かなり長い間暮らせるんじゃないかしら。急に声が出なくなったのは大変には違いないけれど、治療の仕様がないからお医者にもかからないし」
 あっけらかんとした物言いだったが、かなり生臭い話であった。しかしそれと同時に、頭を殴られたような衝撃が天蓬の身体を真っ直ぐに走った。
「捲簾は、昔は声が出たんですか」
「え、えぇ」
真顔での質問に彼女は気圧されたようだったが、その時の天蓬にはそんなことに気を回す余裕すらなかった。

よく考えてみれば自分は彼のことを何も知らない。
母親が死んだということはもちろん、生年月日や身長、好きな色でさえも。
――何も知らないくせに、少し触れただけなのに、自分が何かしてやれるだろうと思い上がっていたのか。

ジジジッとけたたましい音を立てて、蝉が庭木からぼとりと落ちた。
天を仰ぎながら死にゆく姿に、天蓬ははっきりと顔を強張らせた。
夏が、終る。

秋が来て、冬が来て、また夏が巡るだろうが自分はその時ここにはいなくて。

彼の記憶の中に、たった一度、夏を共に過ごしただけの人間としか残らない。




『もう、来ないかと思った』
「・・・あらかじめそうやって書いて待ってる時点で、思ってないってわかりますよ」
 捲簾はノートを手に掲げたまま、そうだなと小さく笑い、天蓬を見て静かに目を細めた。
『来いよ』
 そう短く唇を動かして、捲簾は奥へ進む。そして土間の左横の木戸を開け中に入っていき、天蓬が後からそれに続くと、彼は少し遠くを見るような目をして器が並んだ棚を静かに仰いだ。
『ここじゃなきゃ、こいつらは作れない』
 確かに、ここにあるものと売り物になっているものは微妙に質感が違うのは天蓬も気がついていた。捲簾は、土がここでしか取れねぇんだと言葉を続けたが、その顔になぜか表情はなかった。
 天蓬は黙って手を伸ばし、あの白い器に触れる。滑らかでやはり恐ろしく冷たいその感触は、あの日焼けの少年が持って帰った茶碗とは違うものだ。
『――遠音』
 天蓬は捲簾の呟きを見逃さなかった。捲簾はそれだけ呟くとすぐに口を閉じたが、じっと自分を見つめる視線の強さに、応えるようにノートの上で右手を動かした。
『これは俺が高校卒業してここに住みだしてから、最初に作った器』
 その文字を追ってから、天蓬が手の中の器を見おろすと、ますます冷たさが増したような気がした。
すると捲簾の手がゆっくりと伸びてきて器を受け取り、またそっと棚にそれを戻した。
『俺は、こいつらを作り続けなきゃいけない』
 独り言のようだった。それでもその意志の強さはわかった。十分、わかった。
「・・・いつまで?」
 天蓬は尋ねた。囁くような声だったが、それはきちんと捲簾の耳に届いた。
 
それでも、捲簾はその問いに答えなかった。



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